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「南京攻略時に虐殺を目撃した」と証言した人の一人に中山重夫氏がいます。
以前から南京大虐殺否定派の人たちは「中山重夫氏は雨花台にいたはずがないから、中山重夫氏は嘘つきだ!捏造者だ!」等の中傷を繰り返していました。
ところが、「中山重夫氏は雨花台にいたはずがないから、中山重夫氏は嘘つきだ!」という主張のソースをたどってみると、元になっているのは「匿名の情報提供者と【資料改竄者】田中正明氏による事実上検証不可能な主張」(よーするに信頼性ゼロ)であることが分かりました。 この件については以前に旧思考錯誤にて書きこんでいました。 http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/11/zvaseh/index.html
先日、「中山氏の証言は嘘・捏造といえるか?」という点について2chの南京大虐殺否定派が立てたスレッド(【世界の】「南京大虐殺」はウソ【常識】22次資料、及び23次資料)にて論争を行いました。
論争に関係して「南京戦史」を調べなおした結果、「中山氏の証言と該当する日時(12月11日)に中山氏が所属していたと言われる岩仲戦車隊の一部に、雨花台方面を攻略するよう命令が下されていた」という事が分かりました。 http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1132686419/122-142
第九師団の第六旅団が12月11日に下した「六旅作命甲第134号」と言う命令です。(平成元年発行
南京戦史資料集
548P) この命令の中に、「戦車第一大隊ノ一中隊ハ先ツ左第一線連隊ノ城外ノ敵陣地奪取ニ協力シタル後右第一線連隊ノ中山門占領ニ協力スヘシ」という一文がありました。 # ちなみに、戦車第一大隊=岩仲戦車隊
です。
当時、第9師団は右翼部隊と左翼部隊に分かれ、戦車第一大隊ノ一中隊を含む右翼部隊が中山門を攻め、歩兵第19連隊を含む左翼部隊は雨花台方面(雨花台及びその東あたり)を攻めていました。
12月11日と言えば、ちょうど左翼部隊が雨花台を攻撃している最中です。
岩仲戦車隊の一部には雨花台方面の攻撃に参加するように命令が出されている以上、岩仲戦車隊の兵士が雨花台にいても不思議ではないです。
このため、「中山重夫氏は雨花台にいたはずがないから、中山重夫氏は嘘つきだ!捏造者だ!」という中傷は前提条件が崩れていて、成立していないという事が、より明確に判明しました。
尚、【資料改竄者】田中正明氏の文には、【資料の改竄】や【嘘に基づいた中傷】が含まれていることは以前から指摘されていましたが、今回のことで「中山氏の証言は嘘・捏造」というのも、田中正明氏による【嘘に基づいた中傷】の一つであることが判明しました。
# しかし、【資料改竄者】田中正明氏は、いったい何個の【資料改竄】や【嘘に基づいた中傷】を行っているのだろうね?
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