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▼熊猫さん: >脇坂部隊南京一番乗りの記 >落ち着かんかい!47連隊より36連隊が早かったんかいな?
12月10日に第9師団36連隊が光華門の一部を占領していますので、そのことじゃないでしょうか。 門というのはトンネルのようになっているのですが、中国軍の反撃を受けてその中に生き残りの兵士が13日まで閉じ込められてしまったようです。 このとき、中国軍の指揮をしていたのが『還俗記』の著者である鈕先銘らしいことを発見しました。(『還俗記』にもこのことが書かれているのかもしれませんが、史料集に邦訳されている部分以外は見ていません。) http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/6/bywqrf/bywqrf.html 日本側の詳しい記事としては、36連隊第1中隊長だった山際氏による『歴史と人物』60年冬号,
pp.254-263、「南京城光華門一番乗りの実相」があります。 なお、『支那事変陸軍作戦<1>』p.428
に若干の記述があります。
>有名な記事ですので皆さんご存知でしょうが、今回はちょっと視点を変えて朝日の記事に突っ込みをいれようと思います。 > >何故か二つの日付があるのです。 >12月13日と12月12日の二つの日付があることにお気づきでしたでしょうか? >これが紙幣や切手だったらマニアの方に高く売れるかも知れませんが、新聞だと石焼芋の包み紙くらいにしかならないから困ったものです。(熊猫注:食品衛生法で古紙は食品包材には使えません) >おまけに南京光華門外にて平松・藤本両特派員十一日発となっています。 >つまり、どの部隊が一番乗りしようが36連隊の一番乗りのシナリオが出来上がっていたということでしょうか? >それにしても、この新聞!よほど焦っていたのでしょう。
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