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皆さんはご存知でしょうが、私ははじめて知りました。台風のニュースを聞きたくて、NHKを付けっぱなしで仕事をしていました。
http://64.233.179.104/search?q=cache:RJRTysHinZQJ:www.nhk.or.jp/newsichiban/0809.htm+%E6%AF%94%E5%8F%A1%E5%B1%B1+%E7%89%B9%E6%94%BB%E5%9F%BA%E5%9C%B0&hl=ja&lr=lang_ja
特集シリーズ戦後60年1.「聖地比叡山の特攻基地」
太平洋戦争末期日本軍は、体当たりで敵機に突っ込む特別攻撃隊、「特攻隊」を編成し戦局を打開しようとしました。昭和二十年日本海軍が本土決戦に備えて特攻隊を最後に配置したのが日本の仏教の聖地、比叡山でした。終戦から六十年、比叡山では、戦争に抵抗できなかったことを教訓とするため、当時の特攻隊員を訪ねて証言を集め次の世代に伝える取り組みを始めました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/kikaku/035/5.htm
湖国の本 比叡山鉄道開業75周年記念社史 比叡山鉄道(大津市坂本本町)が開業七十五周年を記念し、社史「坂本ケーブル75年のあゆみ」(A4判、五十六ページ)を発行した=写真。
坂本ケーブルは一九二七年三月に営業運転を開始。日本最長のケーブルカーとして延暦寺への参拝客らに親しまれてきた。社史には、歴代の車両や線路建設当時の様子、五四年から六〇年ごろまでいたガイド嬢の写真などが収められており、同ケーブルのこれまでの歴史を「創業期」「戦中期」「発展期」「進展期」の四部に分けて紹介。
戦時中には廃線の危機にさらされたが、軍に接収された。山上駅近くに設置された特攻基地に資材を運ぶため、ケーブルの車体を改造したことや、ロケット特攻機「桜花」の搬入を待っていたところで終戦を迎えたことなど、時代にほんろうされた坂本ケーブルの長い歴史をたどることができる。
五八年のドライブウエー開通や車の普及の影響で、旅客数は減りつつある。編さんした元常務取締役の真鍋三郎さん(72)は「開業当時はケーブルが珍しく、多くの人に喜ばれたことを思い出します。車窓から眺める景色の素晴らしさなど魅力を見直していただきたい」と話している。
http://www.yung.jp/~makoto/ http://www.yung.jp/~makoto/index.php?itemid=55
Yung Diary
一殺多生菩薩戒・・・!!
カテゴリー:真夜中の散歩
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今日の夕方のニュースで比叡山に特攻基地を作る計画があったことが報道されていました。 山の頂上にカタパルトを設置して、そこから人間ロケットといわれた「桜花」を打ち出す計画だったそうです。軍は寺の施設を接収して、比叡山は「軍の山」となった過去を持っているそうです。
その時に、比叡山の僧侶は「一殺多生菩薩戒」という教えで、その様な軍の行為を正当化し、さらには日々アメリカ軍撲滅のための祈祷を行っていたそうです。
「一殺多生菩薩戒」とは、 一人の悪者を殺すことで、その悪者によって苦しめられている多くの人を救うことができるなら、それは仏の教えにそった正しい行いだという教えです。 ですから、日本の兵隊が鬼畜米英の兵隊を殺すことは仏の教えにそった正しい行いであり、寺の施設を軍に提供したり、特攻基地を設置することに積極的に協力するこにもなんの問題もなかったということです。
私はイスラム教にもキリスト教にも原理主義といういびつな存在があるのに、仏教にはそういう過激な思想は一般化しないだけでも値打ちもんだと思っていたのですが、それはあまりにも浅はかな考えだったようです。 時代と状況さえそろえば、仏教においても簡単に原理主義も台頭するということです。
人の浅はかさと愚かさは東西、南北、人種を問わないようです。
makotoさん 無断引用してしまいました。すいません。
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