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ちょっと、第一代思考錯誤のログが検索出来なくなったので昔の投稿ですが少しづつこちらに投稿していきます。皆さんも昔書いた文章をこちらに投稿していただければありがたいです。
[2000/07/11] > 大虐殺がなくとも多くの人が死にました。
大虐殺がなかったらそれだけ多くの人(十数万以上)が生きる事が出来たのです。 その中の一人が、あなた、またはわたし、なのかもしれません。
侵略戦争であった事を忘れてはなりません。中国が日本に野心を持っていたのでしょうか?日本が中国を解放するために本当に進出したのだと思いますか?解放しようとする側がなぜ中国人民を無差別に殺戮して回ったのですか?歴史の事実は明らかに解放戦争を否定しています。こうした詩人達の掲示板にまで謬論が入り込んでしまったことは本当に悲しい事です。人の心を表現する人びとが詩人であるのでしょう、南京で何があったのかアジア周辺国で何があったのか?彼らの身に何が起きたのかちゃんと見つめるべきです。歴史学上の論争など存在していないのです、歴史学を無視する輩がいてそれを批判する人びとの論争なのです。
南京攻略戦の前哨戦として上海戦があります。その戦いで蒋介石は国民党軍の3分の1の兵力である70万を投入し25万人の戦死者を出しています。一方日本軍もまた中国軍の苛烈な抵抗にあい戦死9115戦傷31257と言う壮烈な戦いでありました。 日本軍のこの熾烈な戦いでの復讐心が南京大虐殺の動機になった事は否定できないと思います。
自国への侵略者が自国の女性子供老人に冒した残虐非道の行為を目の当たりにして中国軍の復讐心がどれほど熾烈で無念であったかわからないわけでもないでしょう。日本軍もそれは同じだがそれを統制制御せねばならないのが軍です、制御し切れなかった軍の責任は重く重大です。 実際この南京事件以降日本軍の暴挙はエスカレートしていきます。
南京防衛戦の最高司令官唐生智(とうせいち)はその野心から自ら防衛不能な作戦の指揮官を名乗り出ます。この作戦(南京固守作戦)の推進者が蒋介石です。国防会議では蒋介石の立案は誰にも取り上げられませんでした。唐生智は国民党軍の中では非主流派でした(反蒋介石戦争への参加経験あり)そのために軍内部での基盤がためが必要だったのです。 がしかし彼は日本軍の近代化された軍備と戦う戦争を指揮する能力がなかったのです(経験がない)
当初は南京を七万の兵力で防衛しようとします、ところが日本軍の雪だるま式に膨れ上がった総勢20万という兵力に慌ててしまいました。
南京陥落当日の早朝、唐生智は少数の幹部で撤退作戦の相談をしています。が、司令部と唐生智の居所が遠く離れており(2,3キロ、唐生智は病弱で司令部では指揮せず自分の官邸で指揮していた)この事は迅速な戦況判断等を鈍らせる結果になりました。 蒋介石からの撤退命令はすでに前日に出ております、が唐生智は徹底死守の厳命を下しており急な撤退命令を遂行する自信がありませんでした、実際その撤退命令により防衛軍に混乱がおきました。 撤退作戦は失敗し防衛軍は混乱の極みに陥りました。唐生智の脱出以降は防衛軍はもはや戦闘集団ではありませんでした、実際陥落以降防衛軍の組織的抵抗はいっさい確認されておりません、軍服を脱ぎ生命の安全の確保に努めました。便衣兵とはゲリラの事です。軍服を脱いだ兵士のことではありません。
とにかく事件をちゃんと調べてみてください。その上で意見を唱えてください。謬論にだまされてはいけない、その必要がないと言うのであればあなたの言っていることは謬論であり民主主義破壊であるとして私は徹底的に叩かねばなりません。少なくとも詩人の看板は降ろして欲しい。国際法がどうの馬鹿げた中立論者まで現れる始末で本当にいかん。
そうはいかないのであれば私はこの板で議論をします。国際法上正当化される物か否か、、、。 人の心を語る詩人達の場です、言って良い事と悪い事があります。この問題を語りたいのであれば議論をするか自分できちんと調べるかしかありません。申し訳ありませんネット掲示板の性格上、ここは全世界に開かれた場所である以上批判せねばならないのです。
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