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[149]岐阜県武儀郡板取村 『日中戦争 太平洋戦争 従軍記』 ゆう 05/4/9(土) 5:06
[150]Re(1):岐阜県武儀郡板取村 『日中戦争 太平洋戦争 従軍記』 ゆう 05/4/9(土) 5:50
[151]Re(2):岐阜県武儀郡板取村 『日中戦争 太平洋戦争 従軍記』 とほほ 05/4/9(土) 15:54
[152]ネットのいわゆるトンデモ議論 ゆう 05/4/9(土) 16:57
[158]スレ違い失礼! 熊猫 05/4/10(日) 3:25 [添付][添付][添付]

[149]岐阜県武儀郡板取村 『日中戦争...
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/4/9(土) 5:06 -

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   この本は、「板取村」が1987年にまとめた、村民たちの従軍体験記です。

発行者は、「板取村長 長屋實」。約500ページとぶ厚く、かつ装丁もなかなか立派。この村はもう「平成の大合併」で消滅して「関市」の一部になっているようですが、こんな小さな(たぶん・・・)村が、これだけの「事業」をやってのけたことに、驚かされます。

<その中に、「南京攻略戦」に参加した村民たちの座談会がありましたので、ここに紹介します。>


*********************************

 従 軍 譚
 南京攻略従軍兵士の座談

        老洞  M・E
        岩本  N・Y
        田口  N・J、N・S  (以上、原文実名)


M・E 「わしの所属する第二機関銃は、六十八連隊の先遣隊として南京城の武定門に向った二大隊に配属されていたので、見渡すかぎりの畑地を夜の間に城門まで二百米ほどのとこへ進出して陣地を構築し、射撃準備をしたが、敵は気がつかぬか一発も射ってこん。

 城壁からこちらへ約三十米のところに巾五十メートルはどのクリークがある。クリークの橋は落されていて、クリークと城壁の間は貧民窟街や、敵がどれだけ隠れとるかもしれん。

 夜明けを待って大隊砲と機関銃で一斉に曳光弾を射ち込んでやったら、火がついて燃えだした。かくれていた敵兵が五十人はど逃げだしてきたので、皆射ち殺したが、城壁の方からはちょっとも射ってこん。右方の光華門では九師団の脇坂部隊が激戦中でドーン・ドーンバリバリやっている。

 二大隊は筏を組んでクリークを渡り、武定門に大隊砲を射ちこんだがビクともしない。武定門の一番乗りをあせった第五中隊長の命令で三十人ほどの兵士が人間ビラミットを作りだした。

 途中で何回となく崩れたが、とうとう城壁のてっペんへとどくビラミットができたので小銃隊の下士官がピラミットをよじ登り、城壁のてっペんに手が届いたとみえた瞬間、力つきた人間ピラミットはクシャクシャと崩れて、城壁の端に両手でぶら下がった下士官が宙にとり残され足をバタバタさせている。いまにも落ちるに違いなかったが、どうやらもがいて城壁の上へ這いあがった。

 しかし一番乗りの国旗をあげようとして、それを忘れてきた事に気がつき、「国旗をほうりあげてくれ」と呼ばっている。兵隊らが小石を国旗でくるんで投げあげるが、なんべんやってもなかなか届かない。

 そのうち第六中隊は他の部隊が占領した鉄道の通っている門へ迂回して城内へはいり、斜面になっている城壁の裏がわから悠々と武定門へ登ってきて国旗を立てる。立てさせまいとして先に登っている五中隊の下士官が争っている。

 下では五中隊長の鬼頭大尉がそれを見ながら地団駄を踏んでおったに。それで一番乗りの手柄は旗を立てた六中隊のものになってしまった。」


N・Y 「わしは第三機関銃で第三大隊の配属だった。光華門の左の通済門から城内に突入した。重傷を負って血まみれになって倒れていた中国軍将校が、わしの抜き放っている軍刀を指さし、手まねで首を斬ってくれと頼んだが、手向かわんものを斬れるもんではない。部下に命じて民家へ移してやったが、その途中息を引きとったに。それでM・E(原文実名)はどこから城内にはいったのや。」


M・E 「わしらは武定門が破れんから、他の部隊の破った門からはいった。はいってみてわかった。大砲でもなんでも破れん筈や、城壁の厚さは麓で十五、六米、頂上で五米もあり、武定門の鉄の扉からの奥行は三十米ほどあって、そこは土嚢でぽんぽんに埋められてあったのや。

 武定門の内側には数十人ほどしか敵兵はいなかったが、すぐさま射殺してしまった。

 城内では物凄い光景が目に入った。壕の中に手榴弾を投げこみ、かくれている中国人を生き死にかかわらず埋めこんでいるのだ。

 主要道路は戦車に踏みつぶされてスルメ(のしイカ)みたいになった中国兵の死体で敷きつめられ、道路の両側は塹壕になっていたが投げこまれた中国人の死体で岡のように盛りあがり、それが一里も二里もつづいていた。

 それから後に戦場掃除は幾日かかったか知らんが、それらの死骸を紫金山の麓の玄武湖と揚子江に投棄して始末したのだ。」


N・J 「わしも第一大隊に配属の機関銃で、南京落城後、中華門から入城したが、戦いは終って城外では九師団の戦死者を焼いていた。

しかし城内ではさかんに中国人の虐殺が行われているのを見た。陸橋の上にまっ黒に中国人を並ばせ、機関銃で掃射し、死んだものも、傷ついてうめいている者もみさかいなく陸橋から投げ捨て、また次の集団を並ばせ掃射しているのだ。」


N・S 「中国人の成人男子は皆殺しにせよという命令が出ていたのだな。便衣隊と一般人の区別がつかぬからだ。でも生き残った中国人の非戦闘員は周囲十三里ほどもある難民収容所へ入れられ、そこから逃亡しようとしなければ殺されることはなかった。」

  (賢雄聞記)

 注 便衣隊=非戦闘員の紛装している兵士


(同書 P50〜P51)


*********************************

なかなか凄まじい「証言」が揃っています。私には、これらの「証言」が事実を語っているのかどうか判断する術はありませんが、とりあえず、このような「証言」が行われている、という事実を紹介しておきます。


例えば、M・E氏の証言ですが、「主要道路は戦車に踏みつぶされてスルメみたいになった中国兵の死体で敷きつめられ」というのはちょっとどうか。

1メートルの高さに積み上げられた死体の上を車が通行していたという「ゆう江門」の光景のことを言っているのだとしたら、まあ納得できないではありませんが・・・。

なお、「玄武湖」で死体処理を行った、という部分は、奥宮氏の目撃証言と一致します。かつて「玄武湖に死体があるわけがないから奥宮証言はウソ」とする議論を見かけたことがありますが、これはひとつの「反証」となりうるかもしれません。

N・S氏の「中国人の成人男子は皆殺しにせよという命令が出ていたのだな」という証言も興味深い。実際にそのような「命令」が出ていたのかどうかはわかりませんが、少なくとも現場の兵士の間ではそのように意識されていたのかもしれません。


しかしこの頃(1987年当時)は、このような「証言」を、「村」の公的な出版物の上で行うことが可能だったのですね。隔世の感があります。

---
[管理人一回修正:本文(本人申告による)]
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[150]Re(1):岐阜県武儀郡板取村 『日...
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/4/9(土) 5:50 -

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   ちょっと修正

コピペミスで、自分の文章が1行飛んでいましたので、「前書き」部分を修正します。


この本は、「板取村」が1987年にまとめた、村民たちの従軍体験記です。

発行者は、「板取村長 長屋實」。約500ページとぶ厚く、かつ装丁もなかなか立派。この村はもう「平成の大合併」で消滅して「関市」の一部になっているようですが、こんな小さな(たぶん・・・)村が、これだけの「事業」をやってのけたことに、驚かされます。

<その中に、「南京攻略戦」に参加した村民たちの座談会がありましたので、ここに紹介します。>

(以下本文)


< >内がないと、何のことやらさっぱりわからなくなります。
以前のように「修正機能」があれば、すぐに直せたのですが・・・。(^^;
82 hits

[151]Re(2):岐阜県武儀郡板取村 『日...
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/4/9(土) 15:54 -

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   ▼ゆうさん:
>< >内がないと、何のことやらさっぱりわからなくなります。
>以前のように「修正機能」があれば、すぐに直せたのですが・・・。(^^;

やっぱりこの機能があると良いですよね。
管理人が「記事を修正できる」というのも、どうにも私のネット思想とかみ合わない(笑)
可能なら、私のほうで改造してみます。
91 hits

[152]ネットのいわゆるトンデモ議論
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/4/9(土) 16:57 -

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   東中野氏の新刊以来、新たに「南京事件論議」に参入してくる方が随分増えたようです。

ただしその中の大半は、東中野−田中流否定論を忠実になぞって(あるいはそこからさえも脱線して)「やっぱり南京虐殺はなかった」とやってしまう、困った方々ではあるのですが・・・。

今朝はたまたま早起きしてヒマでしたので、遊びで、そんな「珍論」のひとつへのコメントページをつくってみました。読み返してみると我ながら結構面白いのではないかと思いましたので(^^)、皆さんにご案内してみます。

http://www.geocities.jp/yu77799/kyokouwoabaku.html


ご覧の通り、見事にパターン通りの「否定論」です。おそらくこのレベルは、もう誰も面倒がって相手にしないでしょう(^^) ただまあ、相手をしないことをいいことに、この種の「暴論」が堂々とはびこってしまうのも困ったことです。

でも、ここまでやってしまっては、おそらく軽い気持ちで書いたであろう相手の方にお気の毒な気も・・・。

このページは非公開とし、相手の方が元の文を削除されたら、相手を特定できる情報は一切カットして、純粋に「典型的なネット否定論のサンプル」としての取り上げという形式をとる、ということにしたいと思います。
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[158]スレ違い失礼!
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 熊猫 E-MAIL  - 05/4/10(日) 3:25 -

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画像資料版の一番美味しいネタは、ゆうさん用に残しています(^^)。
メインデッシュは如何でしょうか?


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