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4月15日の朝日新聞に『三者三論』という記事がありました。 『三者三論』というのは、一頁を使ってそのときどきの問題を三人の人に語らせる記事で、今回は『教科書検定を考える』と題して「中学校用教科書の検定結果が発表され、一部の内容が国際問題に発展した。検定をどう考えるか。」とリードが付いています。
登場するのは、元文部省初等中等教育局長の菱村幸彦さん、リクルート社勤務から中学校校長に転じた藤原和博さん、東大教授で教育社会学の刈谷剛彦さんの三人です。
元文部省の菱村さんの検定制度に対する意見は、付けられた見出しが「欠陥指摘、当然の制度」と予想どおりの内容です。また校長の藤原さんは御三方の中ではまだましなことを言っているように思いました。
ひどいと思ったのは東大の刈谷さんです。冒頭から、「中国や韓国の人たちの反発は、『検定は国家によるお墨付きであり、国家による知識の権威づけだ』と見ていることに起因するのだろう。」ときます。 「つくる会」の教科書に何が書いてあるかは問題じゃないし、「検定は国家によるお墨付き」ではない、中韓の反発は日本のことを誤解しているからだというわけです。
刈谷さんは続けます。家永訴訟のころに比べれば「現在の教科書検定は大幅に簡素化され」ている、それでも「検定制度が国定教科書制度と同じであるかのように誤解され、国際的な問題を引き起こすのなら」と、あくまでも国際的な問題が起こるのは誤解によるものというスタンスです。
そして刈谷さんは返す刀で「進歩派」を打ちます。「その点で少々気になるのは『進歩派』と呼ばれる人たちの論調だ。かっては検定制度を緩和するように主張していた。ところが、『つくる会』の運動が始まると、今度は検定制度の厳密化を求めるようになった。」 「つくる会」に対して甘い検定に対して、やる以上は同じ基準でやれという声が出るのは当然だと思うのですが、ものごとの上っ面だけを見て批判の材料にするところなど、刈谷さんは「つくる会」から学んでいるのかと思ってしまいます。
さらに続きます。 「『つくる会』の立場であれ、それに反対する立場であれ、国家によって権威づけられた単一の歴史観を学校教育で教え込むという発想は危うい、と私は考える。」 「私は以前から、複眼的な歴史観を培うために、つくる会の教科書と別の教科書の両方を使って授業をしたらどうか、と提案してきた。」
引用していてあきれてしまうのですが、この人は「つくる会」の会員なんでしょうか。 今の日本で「国家によって権威づけられた単一の歴史観を学校教育で教え込むという発想」に一番近いのは「つくる会」でしょうし、「複眼的な歴史観を培うため」に、それに最も遠い「つくる会」の教科書を使おうというのですからさっぱりわかりません。
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