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「幕府山事件」に関わっていた「第十三師団」は、「事件」の6か月後の1938年5月9日頃、徐州作戦の中で、またもや「捕虜殺害事件」を起こしていた可能性があるようです。以下、「世界史の中の1億人の昭和史 4日中戦争から第二次世界大戦へ」より、キャプションのみを引用します。
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<特別企画 軍医が見た華中最前線>
○華中の戦火は拡大し日本中が戦勝気分に酔いしれたころ、中国奥地へと入り込む日本軍は中国軍の抵抗と泥濘とマラリアに苦しんでいた。中支派遣軍の一軍医が昭和十二年一〇月一日上海に上陸して漢口に至る一年余・約一五〇〇キロの行軍の足跡をカメラに収めていた。
佐々木周一軍医が撮影した約七〇〇枚のネガはそのまま第十三師団の従軍日誌であり、この中には兵士達の素顔と並んで当事は発表できなかい中国人捕虜の虐殺死体が移されていた。佐々木軍医はすでに故人となりこれらのネガは長男嘉直氏が初めて公開したものである。
●5月8日 第13師団(歩兵第58・116・65・104連隊を中心に編成)は渦河河畔にある人口約1万の蒙城を 飛行機・山砲・戦車で攻撃した 城内の中国側は 女性や子供までが手榴弾で応戦し 激戦が夜半まで続いた 9日入城した日本軍は多数の中国兵を捕えた(このページの写真は東京日日新聞の堀江秋吉特派員撮影)
上右:蒙城西門を占領した山田旅団第65連隊 上左:蒙城城内の残敵掃討に向かう吉川部隊 右:第58連隊と蒙城南門を攻撃の岩仲戦車隊 下右:司令部の祝杯(手前が荻洲立平師団長) 下左:中国兵捕虜 総数は不明だが 第116連隊だけでも 捕虜337 遺棄死体1027 日本軍の死傷103 捕虜解放・連行の記録もない
○軍医はクリークに浮かぶ中国兵の死体をカメラに収めた 後ろ手に縛られた死体は捕虜 「捕虜は足手まとい」が日本軍の常識だった。
○誰が命令し誰が殺したのか判っていない 第13師団先遣隊出発まで銃殺音は聞かれなかった 師団前進に際し秘かに処刑されたらしい 佐々木軍医は野戦病院と共に数日間蒙城に駐屯し これを目撃した
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写真を見ると、「下左」はしゃがみこむ捕虜の群れ。画面に映っているのは50人程度ですが、画面外にどれだけの人数がいるのかは、わかりません。そして次の2枚の写真の「死体」の数は、いずれも数十体というところでしょうか。写真のキャプションにもある通り、明らかに後ろ手を縛られている写真もあります。
さて、この時の「捕虜」、第十三師団の関連戦史ではどのように記述されているか。手元の資料を見てみました。
◎『郷土部隊戦史』(ゆう注 歩兵第65連隊)
蒙城戦はまた完全な包囲掃滅戦であった。(中略)しかし敵軍はよくたたかい抜き、一部が城壁からとびおりて逃げたほかは、城内で憤死し、四千八百の守兵のうち捕虜千二百が残っただけだった。しかも捕虜となることをいさぎよしとせず、最後までたたかって手榴弾自爆をとげた敵兵もいたのである。(P136)
◎『桐崗塞の丘 歩六五・第九中隊』
西門へ第二大隊、北門に第一大隊、西北に百四連隊第三大隊と山砲十九連隊第二大隊が攻撃する。(中略) 五月九日午前十時すぎ、蒙城陥落。蒙城内守備兵は四千五百余と推定されていたが、どこをどう脱出したのか、最後まで城内に残っていた敵は少なかったという。ここでも我に多くの戦傷死者が出た。(P40、P41)
◎『第十一中隊史』(ゆう注 歩兵第65連隊)
公路はもうもうと立上る土煙にて眉毛や髭は汗とほこりで泥まみれとなり連隊主力が激戦の末占領した蒙城に入るや該街のクリークの中やその一角には敵遺体累々臭気鼻をつく有様であった。(P33)
◎『高田歩兵第五十八連隊史』
本戦闘におけるわが方の損害は戦死十四、負傷七十三。敵の遺棄死体は約九百、捕虜二十五、その他であった。(P140)
『山砲兵第十九聯隊史』『第十二中隊史(65連隊)』『歩一〇四物語』には、「捕虜」「敵死体」に関する記述はありませんでした。『ふくしま 戦争と人間』は未チェックです。なお、上の「第九中隊」「第十一中隊」を含む「第六十五連隊第三大隊」は戦闘自体には不参加だったようです。
捕虜の数については、「千二百」(『郷土部隊戦史』)の数字があります。「二十五」(『高田歩兵第五十八連隊史』は、連隊だけの数字でしょうか。
第十一中隊は、戦後に蒙城に入城、「敵遺体累々」を目撃していたようです。これが「戦死」だったのか「捕虜殺害」だったのかはわかりません。書き方を見ると、「戦死体」であったようには思われますが・・・。
とりあえずのデータとしては、以上です。
ついで。『京都師団資料集』所載の、「銃後に答ふ」(昭和十四年七月一日、井上隊編纂)よりの引用。帰還兵が故郷の人たちに戦争の話をする時の、想定問答集です。
A 捕虜は何うしますか。 B 作戦上止むなく殺す事も有りますし、さもない時は当方の使役に使ったり、後方へ送ってやったりして給与してやります。漢口、南京には相当居ります。行くいくは維新政府に於て教育編成される様になる事でせう。捕虜達は幸福そうに仕事をしてゐます。(P431)
・・・「公式見解」で、「作戦上止むなく殺すことも有ります」って認めてしまっていいんでしょうかね。
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