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[258]もう一つの「転戦実話」 − 「毒ガス戦」資料として ゆう 05/5/1(日) 5:47
[263]毒ガス戦訓練の記述 higeta 05/5/2(月) 15:08

[258]もう一つの「転戦実話」 − ...
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/5/1(日) 5:47 -

引用なし
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   今さら解説の要もないでしょうが、「転戦実話」は、昭和15年発行の、熊本第六師団兵士たちの手記集です。東中野氏は、「新資料発掘」と銘打って、何とこれだけをネタに、「1937南京攻略戦の真実」という本を書いてしまいました。

帯には「発見! 虐殺論争に終止符か!?」なんて大層なあおり文句があります。卒業文集に「荒れた」話がひとつもなかったからといって、「この学校で校内暴力があったというマスコミ報道はウソだ」と言っているみたいなものですね。生徒が「自主規制」したか、先生が検閲したか、に決まってるじゃない(^^)

この本、さすがに入手困難。少なくとも、私の力では捜しきれません。国会図書館にもないようです。はるばる偕行社まで出かけていって、見せてください、という度胸もないし(^^;


ただまあ、東中野氏の感動ぶりとは裏腹に、この「転戦実記」、実際には研究者の間ではよく知られた資料であったようです。確か、洞氏だったか吉田氏だったかの本でも、ここからの引用を見たことがあります。

吉見義明氏の「毒ガス戦と日本軍」と読んでいたら、この「手記集」がしっかりと「毒ガス戦」の資料として使われておりました。以下、紹介します。


項目の書き出しは、「この作戦(ゆう注 贛湘作戦)では、毒ガス戦に参加した熊本第六師団の兵士たちの体験記録が、町尻部隊編『第六師団転戦実話』贛湘編(一九四〇年)の中に数多く集録されている」(P102)となっています。具体的な手記は、4つです。


●工兵第六聯隊第一中隊 H・Y伍長(原文実名。以下同じ)

昭和十四年九月二十三日朝まだき、愈々新墻河の敵前渡河を決行するといふので、架橋材料中隊は無数の折畳舟を準備してゐます。・・・午前八時、攻撃の火蓋は切られ、天地も轟くばかりの壮観です。

間もなく赤筒がたかれました。始めて見る化学戦です。最初のうちは追風で、とても都合よく行きましたが、風が変って、私達の方に流れてきます。

予め命に依って皆装面をして居りましたが、気の毒なのは苦力です。フウフウ言って苦しんでゐます。前のクリークに顔を突込ませましたが、無駄です。


●熊本歩兵第一三聯隊聯隊砲中隊 H・R軍曹

愈々攻撃開始、野戦瓦斯隊が盛んに特種発炎筒を焚き始めました。もくもくと黒煙が天地を覆ひ始め、盛んに敵陣に吹きかけて行きます。絶好のチヤンス、と思ふ間もなく、風向が変つたか、瓦斯は友軍陣地を覆ひ始めました。早速、防毒面の御世話になりました。土民が瓦斯に追はれ、一生懸命逃げて来ます。涙をボロボロ流して居ます。


●歩兵第十三聯隊第七中隊 K・S(階級不明)

「九月二十三日午前八時三十分、一斉に渡河に移る、状況により瓦斯を使用す」と云ふ命令が達せられました。瓦斯使用の戦闘は今回が始めてです。平常も欠かさず防毒面は携行するものの、今迄にない緊張を覚えました。

・・・・やっと八時になりました。野砲、山砲が火蓋を切りました。続け様の発射音に朝の静寂は破られ、俄かに戦禍を避けんとする土民の群が、何処も兵隊で一杯で、逃場も無いのにうろうろして居りました。

砲が斯んなに協力するのは今度が始めてです。砲が一寸でも沈黙すると、〔国民党軍の〕チエツコが気狂ひの様に癇高い音を立てます。

後方にある聯隊本部の真上に、白三星〔信号弾〕が打上げられたと思ふと、中隊長殿の右手がサツと挙げられ、私達は一斉に渡河し始めました。野砲は正面の敵陣に集中射を浴せて居ます。私達は装面して居ますので、敵弾が砂煙を上げるのは判りますが、音は全然聞へません。

目前に迫る敵陣、苦しい呼吸の中に、着剣をして対岸陣地に突入、血走った眼で四辺を見廻しますが、二、三の遺棄屍体があるだけで、もう潰走して居ます。野砲が敗走する敵兵の上に、小気味の良い榴散弾を浴せて居ます。未だ霧の様に瓦斯が残つて居ますので、脱面の命令が出ません。頭がズキンズキンと痛み出し、次第に感覚が痳れて来ました。

やがて霧のような瓦斯が晴れて、脱面を許されました。正面の第二線陣地は如何したのか、固い沈黙を守って居ます。


●歩兵第十三聯隊第一大隊本部 T・Y輜重兵一等兵

暫くすると前の方が霧がかつた様になり、だれかが「ガス」と叫んだと同時に目鼻が痛みだし、古兵殿達は直に装面しましたが、私達新兵五名は防毒面も無く、苦しくなるばかりです。早速タオルに水を一杯湿して口鼻に当てましたが、苦しさは激しくなる一方で、一刻も早く安全な場所に行きたいのですが、目は開けられず、口は利けずの有様・・・・生死の境を突破せんと一生懸命になつてゐる姿は真剣です。

他人事ばかりでなく、私も寄りついては行くものの、大きな石に突き当り、足は打つ、顔や頭を地面に按りつけ、タオルから服一切泥だらけです。顔を覆ってゐるタオルの水は、鼻から口に通り、舌にタオルが触れる度毎に、塩辛く苦い味が愈々増して来て、此処で死ぬのではないかと思ひました。


東中野氏が紹介する「卒業文集もどき」よりも、ずっと面白い。しかし当時、「毒ガス戦」について書くことは、タブーではなかったのですね。少し、驚きました。
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[263]毒ガス戦訓練の記述
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 higeta  - 05/5/2(月) 15:08 -

引用なし
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   ▼ゆうさん
戦地から郷土に送られた「軍事郵便」においても、
毒ガス戦訓練についての記述は、
検閲をパスできたようですね。


○満州派遣軍第8師団歩兵第31連隊第6中隊千葉徳右衛門、高橋峯次郎宛書簡 1933.10.16

「去る十月十三日よりは両が古北口に参りまして、目下八釜敷叫ばれる化学兵器たる『ガス』専習員を命ぜられまして修業致し居ります。…来るべき戦場に化学の力を利用し、『ガス』兵として先輩の残せる三十余年昔の誉ある歴史を偲び、今次の予想敵国も又国土を同じうする彼等と両度の決戦を試みん日が待遠しい思すら致します」

(山辺昌彦「軍事郵便に見る兵士と戦場論」『国立歴史民俗博物館研究報告』101、2003.3、68頁)
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