|
結局、投稿しました。掲載されたらされたで、また色んな人から絡まれるんだろうな、やれやれ。
本当はあの人のコラム、一行ごとにツッコミ入れたくてしょうがないんですよ。 でも多分、新聞社がギャラ払って書いてもらってるコラムでしょうから、 「見解の相違」くらいのレベルだと握り潰される可能性ありますので、 >>>当時の国連統計で二十数万人しかいなかった南京で、どうやって三十万人も殺すことができたのか? つじつまが合わない ↑こういう、あまりにも明確な間違いのみに限定。でも、載るかどうかは不明です。
>この憲法学者さんも「トンデモにひっかかる」ほど馬鹿でもないでしょう、一応、学者なんだから(^^; >確信犯の一人でしょうね。
トンデモは、いつでもどこでも誰とでも(?)。どんな人でも等しく引っ掛かる可能性があると思います。新興宗教やら振り込め詐欺みたいなモンで。 この方、あまりにも否定論の常套句をおっしゃるんで、法律には玄人かもしれんが、歴史には初心者ではないかと思いまして。渡部昇一なんかと共著で本を出してるんで、彼らのヘンテコ歴史学に汚染されちゃったんじゃないかと思ったり。 ただ、私もノストラダムスを信じていた時期はありましたので、下手すれば地下鉄でサリン撒いた連中の仲間入りだった可能性なきにしも非ず。否定論と先に出会っていたら、この掲示板を反日呼ばわりする側だったかもしれん。 自分だけは引っ掛からないなどと思わず、人間だれしも彼らのような要素はあることを自覚しながら、それに取り込まれないように生活していくことが重要だと。
>15年戦争時、【侵略】は世界の常識? >
★1953年のペリー来航以来、いやがおうにも、開国せざるを得なかった日本、そして、西洋の文明に驚愕して、いち早く、西洋を見習い、和魂洋才で、明治政府を作り、押し寄せてくる西洋列強のすごさ、すべて、植民地化されてもおかしくない西洋に立ち向かった日本人はすごい、と尊敬しています。今日在ることに感謝しましょう。 > >今あることに感謝はしますが、ここで言っている「日本」とは何の事でしょうか?1953年に「日本」という国はなかったのですが。 > >
その基本となる心は、神仏習合で人々の安寧を願いながら、士農工商という、考えてみれば、なるほどというほど、よく考えられた身分制度に250年もの間、平和を維持して、世界に冠たる独自文化を築いて来て日本人。なんと、すばらしい先人 >たちであったことでしょう。 > >はー?(?_?) >幕藩体制のことを日本と言っているのですか?ペリー来航に腰を抜かして清朝同様、おそれいりました、とばかりに開国不平等条約に調印したあの幕府のことでしょうか?そいでもって世界に冠たる独自文化が身分差別制度ですか? >こんな事を誇りに思えと言うのであれば私日本人やめます(笑)奴隷制度を誇りに思っているアメリカ人がいると思うか?そんな事を誇りに思っているのはイザヤ・ペンダサンだか山本七平くらいでしょう。 > >明治維新の意味が少しもわかってない。こんなのに愛国者面されたら志士達もさぞや悔しかろう。封建制度が好きなら中東へ行きなさい、大金持ちの王様たちが一杯いますから、皇族とも大の仲良しです。それこそ北朝鮮金王朝なんかいかがですか?お隣ですし。 > >
★一方アジアを見渡せば、清朝、李王朝下での庶民の暮らしはいかがであったのあろうか。中華思想を振りかざし、押し寄せてくる西洋列強の前で何ができたのあろうか。歴史に照らせば歴然としています。 > >中華思想の発露は孫文以降ですね、と言うか中華思想そのものをもっていたのは日本列島をはじめとする周辺地域ですね、孫文は漢民族思想ですので清朝とは関係ないですね。太平天国と薩長同盟をどう評価してますか?太平天国は失敗して薩長同盟は成功したから日本は偉い、のですか?では、その論理で言えば国民党中国共産党同盟も偉いわけですね? > >
★日本は、元寇以来の国難に立ち向かい、何をしたか。仕方なかったかもしれないが西洋の真似をして、廃仏毀釈して、国家神道にしたところに、悲劇があったのではなかろうか考えますが、日清・日露戦争では日本の為政者たちは世界も見張る、武士道魂で時のイギリスをも感動させたほどの人材がいたのである、しかし、この後、一部軍部の奢り、高ぶりがあったことが大東亜戦争の悲劇を生んだと認識しています。 > >元寇の時代に日本と言う国はなかったのですが。 >日清日露の戦場はどこですか?まったくデタラメな歴史認識だ西郷はなぜ失脚したの?征韓論のためでしょう?征韓論は維新政府初期から根強かったわけでしょう? >大体「大日本帝国」と言う国名の「帝国」とは帝国主義と言う意味です。 > >まあ関係ない話ですが日露戦争は勝ったというよりただ単に伝統的ロシアの戦術に引っかかって立ち往生していたところをロシア側の内乱やヨーロッパ戦線の激化に付け込んで講和条約を結んだだけでしょう。 > >
しかし、昨今の歴史の発掘では、全て、日本人をやっつけるために仕掛けられた面もあったと指摘されています(ハルノート)。この根底には、一神教の不寛容さと人種差別を感じています。 > >ハルノートにそんなことが書いてあるとだれに聞いたのですか?大体なんでハルノートが「昨今の歴史の発掘」なのですか? >日本人をやっつけようとなぜアメリカに思われたのですか?やっつけられた日本人がなんで未だに生きているんですか? >一神教の人種差別を批判する人が「神仏習合で人々の安寧」の為の身分差別は誇りに思うわけですか? > >
★1917年のロシア革命に始まり、中国革命(辛亥革命)孫文は共産主義者だったのですか?、私は知りません、日本との関係は大きかったが・・・中国も共産主義革命以降、共産主義イデオロギーで、日本もにっちもさっちも行かなくなってしまったと思っています。 > >1917年の二月革命は共産革命ではありません、日本の状況に例えれば維新と同じです、つまり封建制の撤廃です。その後の10月革命でソビエト政権が生まれました、が、まだソ連邦の体制はできておらずシベリア一帯は極東共和国です。 >辛亥革命は1911年〜1912年中華民国の成立です、これも日本で言えば維新にあたります(もっとも太平天国等日本よりもっと複雑ですが)。中共とは関係ありません。当時の状況を考えれば日本はイギリス、アメリカを共産化したいと考えていたふしがありソビエトはドイツの思惑でレーニンが台頭したと考えられ、1912年は日本軍部が急激に力を付け始めた年です(上原陸相辞表提出による倒閣)。 > >当時を東郷茂徳(2次大戦時外相、A級戦犯、獄死、1912年外務省入省)はこう回想してます。 >「支那は日本なくとも存立し得るが、日本は支那なくしては存立し得ない」 >そして1914年一次大戦に参戦、ドイツ権益の集中する三東半島に出兵、1915年の21か条要求にはじまり張作霖謀殺、第二次満蒙独立運動、満州事変になります。つまり日本は列強が中国からいなくなったのを見てこそこそと中国侵略を始めたのです。 > >因みに当時の中国体制は袁世凱「大統領」です、袁世凱は袁朝廷つまり帝政復活をもくろんでいたのです。その期を見て日本が清朝後裔粛親王をたて満州建国をたくらんだのが「第二次満蒙独立運動」です。これは当の袁世凱が1916年に死にましたので中止されますが、柳条湖事件まではもうすぐです。 > >とにかく当時の世界状況はそんな単純なものではありません、共産主義はまだ芽生えたばかりでその価値判断も難しい時期です、とにかく1次大戦後のロシア・ドイツの崩壊により日本は日独同盟を疑われ英米と「中国の利権」をめぐって利害対立する状況になるのです。 >【日本が守っていたのは日本ではなく中国での日本権益です】 >日本にとって1次大戦は列強がヨーロッパで戦争しているのを良い事に中国侵略を開始する絶好の機会だったわけです。 > >1920年の様子をみれば4月にアメリカがシベリアを撤兵してからシベリアに駐留しているのは日本だけとなります、つまり1918年から日本とアメリカは共同でソ連に武力干渉していたのです、注意すべきはこのとき日本軍が駐留していたのはソビエトではなく極東共和国である、と言うことです、こう言うことも知らないようじゃ北方領土問題を語る資格もありません、結局このシベリア駐留は4年に及び戦費9億円と3千5百人の戦病死者をだしてます。 > >一次大戦後の世界はそれまで帝国列強が築いてきた植民地支配帝国主義国際秩序の終焉です。一次大戦をほとんど無傷で過ごしヨーロッパの惨状も知らず一人帝国主義を未だに気取ってシベリア駐留を続けている日本はパルチザン部隊の攻撃(尼崎事件)にあい、これを口実に北樺太へ出兵し国際的な批判を浴びるようになります。 > >そして1921年の9ヶ国条約、4ヶ国条約、海軍軍備縮小条約が締結されるのです。これを強く認識してください。この条約に加えて日本が約束したのはシベリア撤兵と旧ドイツ権益の中国への返還(中国の補償金支払いが条件)です。 >これが一次大戦後の新しい国際秩序となりワシントン体制と言われるものです。 >アメリカが国際政治で発言権を持つようになるのはこれ以降です。 > >1922年にシベリア(極東共和国)撤兵したが、尼崎事件を口実に北樺太には依然として駐留するわけです。これにより極東共和国は日本と対抗するためにソ連に合流するわけです。極東共和国は反共政府だったのです。極東共和国はソビエト政府との国交のなかった日本にとって唯一の交渉窓口だったわけです。さらに日露戦争のポーツマス条約は帝政ロシアとの間に結んだものです。 >ソビエト政府発足が1917年で1925年に日ソ基本条約を締結します。 > >アメリカの強力な反共プロパガンダがはじまるのはもっとずっと後のことです。 >が、このプロパガンダに洗脳されっぱなしの日本人・アメリカ人がまだいるくらい強力なものではありましたが、反共プロパガンダによる冷戦構造は2次大戦以降です。 > >とにかく「歴史」と言うのはそんなに単純なものではありません。反共の視点で日清日露や2度の大戦等の軍国主義を語ったり単純な日米闘争で語るのがデタラメである事が少しはわかりますか? > >日本の赤狩りが始まるのはもっと後です。その赤狩りの実態を良く調べてみる事ですよ。 >中国の共産主義革命が起きたのは日本の敗戦後です。 > >実は日本人は【***さんが思っているほど】馬鹿ではないです、庶民も必ずしも乗せられていたわけではありません、この時期の日本の外務省記録を読むといいです、非常に複雑な世界情勢を知る事になるでしょう、そして優秀な日本の外務官僚がどれだけ事態打破に奔走したのか知ることでしょう。 > >5・15や2・26はなぜ起こったのだと思っているのですか?日本の資本主義体制破壊つまり天皇共産主義ですよ、姉や妹を身売りされている彼らの反体制革命です。それが力を付けたのがあなたの言う「一部軍部の奢り」です、靖国の英霊たちもこう言う馬鹿どもに祭り上げられたら死んでも死にきれないと言う事です、死んでまで利用されてたまるか、と言う事です。自分の言動がどれだけ日本人を馬鹿にしているのか気がついていただけたら、と思います。 > >
もし、あの時、日本が全て引き上げたらどうなっていたでしょう?。それこそ、今も一部の人が望んでいるユートピア共産社会になっていたのでしょうか(参考、朝鮮戦争)。私は恐ろしさを感じています 。 > >あの時とはどの時のことですか中国侵略時のことですか?15年戦争時ですか? >21か条要求後敗戦までのことですか?1次大戦ですか?満鉄以降ですか?日露戦争以降ですか?日清戦争以降ですか? > >共産主義イデオロギーの何が嫌いなのですか?朝鮮戦争を参考にしてもあなたの共産主義嫌いの理由がわかりません、日本が朝鮮戦争で大もうけして戦後復興を成し遂げた事くらいしかわかりません、封建制を誇らしげに語るくらいですから北朝鮮はあなた向けの国です。はっきりと共産主義は○○だから嫌い、と主張してください。私も共産主義嫌いですがあなたのような人の「お仲間」とは思われたくありません。 > >#関係ない話ですが自由主義史観主義者は「司馬遼太郎ファン」を自称しないで >下さい、お仲間と思われたくありません(笑)どういうわけか自由主義史観主義者には司馬遼太郎ファンを騙る奴が多いので困ってます。司馬遼も天国で泣いてます。「司馬遼太郎ファン」を自称したい場合はちゃんと彼の本を読んでください、そしたら自然と自由主義史観等という考え方が馬鹿馬鹿しくなりますから。 > >
★迫りくる国難に対応するには、国民が一致団結して、国難に立ち向かう。そのためには教育しかない。その、精神的支えは日本には戦国時代を通じて武士道というものがあった。 > >上記の歴史的事実を認識しながら「迫りくる国難」について説明してください。 >維新期の列強帝国主義と当時の世界状況をごっちゃにして列強への対抗の為仕方なかった、などと言う嘘八百は歴史観とは言いません。 > >武士道?戦国からの武士道と言うとどの武士道ですか?水戸学のことですか? >江戸期の庶民に武士道があったのですか?大体あなたに武士道が語れるのですか? > >
<日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ 神ノ国。 > 日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤク エライ国。> >(「ヨイコドモ下」=1年生・修身の教科書から) >当然のことだったであろうと思います。今の時代の心で判断できるものではないと思います。私たち年代は、終戦時1年生、戦争の実態は知りません。時は富国強兵、産めよ増やせの時代でもありました。そのお陰で11番目として命を受けています。 > >確かに当然のことでありました。なぜ当然だったのでしょうか? >あなたのような軍国プロパガンダに皆乗せられたからですよ。あなたがここで普段主張している事は全部当時の国家が行っていたプロパガンダであり、国家が大嘘をついていたのです。実際に日本がやっていた事は上記の通りです。66歳にもなって「まともな」歴史書の一つも読んだ事がないのですか?これから年金をもらわなくてはならないので若者に国家意識をもたせて年金を払わせるプロバガンダをしているのですか?大丈夫ですよあなたの年金はちゃんと共産党が払ってくれるといってますから、共産党に投票すると良いですよ。 > >
★250万人の戦争犠牲者があり、私の兄も大田舎で、村一番の力持ち、とおだてられ、ビルマ戦線で戦死しました。靖国神社に眠っています。想像ですが、純真な青年として、戦場では強兵として真っ先に突っ込んで言ったのだろうと思います。 >しかし、これら若き意年たちの犠牲を、今の時代の価値観で批判することの愚かさが分からない私たち年代かとあきれています。ほんのひとかけらしか知らない私たち年代が時地獄だったとか刑務所・・・犠牲者を冒涜する言葉を平気で吐く愚かさ。自分さえよければ、この平和の意味も考え得ない人種にいつからなったのでしょうか。お天道様に聞きたいものです。 > >だれが「若き青年たちの犠牲を、今の時代の価値観で批判することの愚かさが分からない」人間なのかよく胸に手をあてて考える事です。士農工商のすばらしい身分制度は年金なんか払ってくれませんよ。戦場で戦死した大半は餓死です、つまり犬死です。そして日本軍は何百何千万ものあなたの兄さんを、ねえさんを弟を妹を父を母を虐殺したのです。それが現実です。 > >あなたが本当に愛国者であればまずそれらの人に頭を下げなさい。広島・長崎の人々に頭をさげなさい。沖縄の人に頭を下げなさい。中国の人に頭をさげなさい。 >朝鮮半島の人に頭をさげなさい。南方の人々に頭を下げなさい。そして戦死していった人々に頭をさげなさい。東中野や藤岡や西尾を読んでいる暇があればそうする事が本当の愛国心です。そしたらそう言う馬鹿げた捏造歴史に頼らずとも日本に誇りが持てるようになりますよ。あなたの投稿のほとんどはこのばか者どもの受け売りである事はみんなわかっているんです。 > >
戦場から生きて帰ってきた人たち、特にシベリア抑留経験者たちの声には、命の叫びが聞こえますが洗脳されて帰国した人もいるとも聞いています。 > >こう言うみっともない挑発は止めましょうね。受け継ぐ会のメンバーがこのMLを読んでいる事は知っているはずです。貴方に中帰連の方々の戦後の思いの何がわかるんですか?愛国者ぶった丁寧な言葉使いの挑発は一番醜いです。 >そんなに洗脳がこわいですか?確かに普段の書き込みを読んでいると簡単に洗脳されているようですね。一度直接お会いしてみたらいかがですか洗脳されて帰国した人と洗脳されているどうしですのでお互いの洗脳が解けるかもしれませんよ。 >***
さんの場合は洗脳ではなくて妄想かも知れませんので保証はできませんが。 > >自分は学者じゃないから学者の言うことを信じる、ですか?(これって自由主義史観主義者の常套句なんだな)どこの学者がそんなデタラメをあなたに教えたのですか?
↑ご苦労されておりますね。「過去の日本は偉かった」「今の日本が悪いのは、過去を美化しない反日分子のせいだ」論の典型例ですな。「自分たちのご先祖さまは偉かった」というのは、甘美な誘惑なんでしょうな。自分自身の自信のなさの裏返しでしょうがね。 司馬さんに関しては、『風塵抄』の中で
>「他の国を理解しない。日本のことだけしか考えない狭隘さを『愛国心』と考える風潮が、日本を一度滅ぼした」
…てなことを、きちんと書いてあるのにね。読んでないのか、読んでも都合の悪い部分は無視しているのか。ま、「一種の病気(同書)」ですから(笑)
個人的には、当時の日本人は(現在のつくる会の方々もですが)「武士道」というより「葉隠」ではないかと思ったりするのですが。 もいちど司馬氏の表現を借りると、『肥前の妖怪』では「葉隠」を「一種の凄みのある被虐心理で書かれた武士道の書」であり、「徹頭徹尾、藩主に随順を強要する道徳書で…」と解説しておりまして、大隈重信の『昔日譚』には
>「この奇異なる書は、一藩の士ことごとく遵奉せざるべからざるものとして、じつに神聖侵すべからざる経典なりき」 >「その要旨は、武士なるものは、ただ一死をもつて佐賀藩のために尽すべしといふにあり。天地の広き、藩士の多きも、佐賀藩より貴かつ重なるものあらざるが如く教へたるものなり。(中略)その開巻には『釈迦も、孔子も、楠も、信玄も、かつて鍋島家に奉公したる事なき人々なれば崇敬するに足らざる』旨を記したる一章あり。もつて該書の性質を窺ふに足る」
「佐賀藩」→「日本」に置き換えれば、あ〜ら不思議(笑) ちなみに、「歴史学も日本の国益のために存在する」という立場がこちら http://homepage3.nifty.com/boumurou/diary/2003.html ↑ 2003.
7. 9 (水)
「史学報国」 更に、これを信奉した結果。
>「葉隠と言う異常道徳が佐賀藩史上、最も深刻に藩士の間に染みこみ、藩の命令には犬のように従順な藩風ができた」 …となり、最終的には副島種臣『経歴偶談』にあるように
>「葉隠れ武士の篤く信じて固く執る所は佐賀藩主を君として之に忠義を尽くすに在りとすれば、此学派が其後世に及びて如何なる結果を生じたる乎と云ふと、其派が佐賀人の為に利益になったと云ふも不可ならぬ。又或は禍したちうも不可ならぬことで有る」
結局、佐賀藩の利益に全然貢献しなかったってこともよく似ておるのでは、と。 日本の場合は「一度滅ぼした」んですが(笑)
| |