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[301]アサヒビールと靖国神社 ピッポ 05/5/12(木) 1:10 [添付][添付]
[302]Re(1):中曽根康弘と靖国神社 ピッポ 05/5/12(木) 2:00 [添付][添付]
[305]Re(1):アサヒビールと靖国神社 とほほ 05/5/13(金) 8:32
[306]Re(2):アサヒビールと靖国神社 ピッポ 05/5/13(金) 9:46

[301]アサヒビールと靖国神社
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/12(木) 1:10 -

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[AML 1476] アサヒビールと靖国神社
half-moon half-moon at muj.biglobe.ne.jp
2005年 5月 10日 (火) 21:29:57 JST



  半月城です。
  ビールの宣伝ではありません。アサヒビールは名誉顧問・中條高徳の名前で靖国
神社に関して下記のように公言しました。

 「国事行為たる戦争の犠牲者を祀る靖国神社に詣でる事をしない政治家に、国政に
参加する資格はない」
http://www.tsukurukai.com/07_fumi/text_fumi/fumi45_text02.html

  これでは公明党議員も議員の資格がないということになります。アサヒビールは
この文章のために中国で不買運動の苦杯をなめているようです。ほろ苦さは格別な味
がすることでしょう。
  私は、スーパードライを見るたびに「つくる会」のことを思い起こしそうです。


「史」平成16年7月号(通巻45号)より 
リレー随想
桜と花嫁人形と靖国神社
アサヒビール名誉顧問 中條高徳
http://www.tsukurukai.com/07_fumi/text_fumi/fumi45_text02.html

 一国の首相の靖国神社詣でを、近隣諸国から文句を言われその代替施設を造るという。流石、国民の声に押されて沙汰やみになったようだ。いずれの近代国家も、その国に命を捧げる行為を最も尊い価値としてきた。その価値観の無くなった瞬間にその社会は衰退する。

 59 年前、日本を精神的カルタゴ体制にしようと、GHQは靖国神社焼却さえ考えていた。ローマ法王支庁のヴィッテル神父の提言によって靖国神社は命拾いをした。

  共に散り共に語らばや靖国桜<さくら>かな

 吾々の年代の若者は祖国の危急を救おうと志願してゾルダーテン(兵隊)の途を選び、その多くが斃れていった。みな靖国神社の桜の下で再会しようと誓い合ったものだ。

 桜は大和心を語る日本を象徴する花だ。

  たたかひて果てし子ゆゑ身に沁みてことしの桜あはれ散りゆく

  釈超空が折角迎えた養子をかの硫黄島の激戦で喪った悲しみを詠んだものである。

  咲けば散る咲かねば恋し山桜思ひ絶えせぬ花の上かな

 藤原公任が撰した『三十六人撰』の中の女流歌人が詠んだもの。わが子を亡くした彼女が京都東山の清水寺に籠り、亡き子の冥福を祈った歌。

  桜を植える会で、吾々は藤村で有名な妻籠宿のある南木曽や日光など各地に桜を植え続けている。亡きわが子の名前をつけた桜を植えて、夫婦で涙しながら桜の木を抱きしめている光景に 々いきあたる。潔く散る桜を見て、みな己の運命を重ねるのであろう。戦後、陸士同期生たちで植えた靖国神社の桜も見事に育った。靖国の桜は美しい。されど切ない。

 戦争は人類に最大の不幸を招く。あってならない残酷なものである。たった一人の息子を戦場に失った母親も尠なからずあった。「軍国の母」と讃えられたとて母親の気持は癒されない。靖国神社にはたくさんの「花嫁人形」が供えられてある。あの息子にせめて人形でもいい、花嫁だけは抱かしてあげたいという母親の切ないまでの真情が伝わってくる。何回見ても滂沱と涙する。この花嫁人形を見れば平和の尊さが身に沁みる筈だ。

 国事行為たる戦争の犠牲者を祀る靖国神社に詣でる事をしない政治家に、国政に参加する資格はない。

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[302]Re(1):中曽根康弘と靖国神社
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/12(木) 2:00 -

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胡耀邦中国共産党総書記宛て 靖国神社公式参拝の取り止めに関する
『中曽根康弘書簡』
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nakasoneyokann.htm



胡耀邦総書記閣下

謹啓
 
 炎暑厳しい折から、閣下には益々御健勝のことと心からお慶びもうしあげます。 1983年秋には閣下を我国に御迎えして、日中両国の子々孫々の代までの平和と友好の契りを交して以来、早くも3年の歳月が流れようとしています。

 顧みますと、その翌春の私の貴国訪問と日中友好21世紀委員会の発足、閣下の御提唱による我国青年3千人の御招待による日中青年大交流の成功、北京の日中青年交流センター建設の具体化などを通じて、日中両国の青年・文化交流、経済・科学技術交流は、政府民間のさまざまな分野でかつてない新たな進展を遂げて参りました。 

私はこの3年間を振り返って、閣下と私の間で確認しあった日中関係4原則、すなわち「平和友好・平等互恵・相互信頼・長期安定」の考え方が、激動する内外の諸情勢の風雪と試練に耐えて、しっかりと定着しつつあることを、閣下と共に大いなる満足をもって回顧するものであります。 

日中両国の各分野における交流が量的に拡大するにつれて、両国関係に若干の摩擦、誤解、不安定要因が生起することを完全に避ける事は困難であります。私達にできることは日中関係4原則、なかんずく日中両国の「相互信頼」の原則に立って、日中間に生起する摩擦、誤解・不安定要因を早期に発見し、率直に意見を交換し、小異を残して大同を選び、これらの諸問題の解決のために機敏に行動することによって、問題の拡大を未然に防止し解決を見出すことであると確認いたします。  

私はこの両3年間に生起したさまざまな諸問題について、日中両国がこの基本原則に従って行動し、着実な成果を収めてきた事をよろこばしく思うものであります。 

日中関係には2千年を超える平和友好の歴史と50年の不幸な戦争の歴史がありますが、とりわけ戦前の50年の不幸な歴史が両国の国民感情に与えた深い傷痕と不信感を除去していくためには、歴史の教訓に深く学びつつ、寛容と互譲の精神に基づいて、日中両双方の政治家たちが、相互信頼の絆により、粘り強い共同の努力を行う必要があります。 

私は戦後40年の節目にあたる昨年の終戦記念日に、わが国戦没者の遺族会その関係各方面の永年の悲願に基づき、首相として初めて靖国神社の公式参拝を致しましたが、その目的は戦争や軍国主義の肯定とは全く正反対のものであり、わが国の国民感情を尊重し、国のため犠牲となった一般戦没者の追悼と国際平和を祈願するためのものでありました。 

しかしながら、戦後40年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなおとりわけアジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは、避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました。 

如何に厳しい困難な決断に直面しようとも、自国の国民感情とともに世界諸国民の国民感情に対しても深い考慮を行うことが、平和友好・平等互恵・相互信頼・長期安定の国家関係を築き上げていくための政治家の賢明なる行動の基本原則と確信するが故であり、また閣下との信頼関係に応える道でもあると信ずるが故であります。 

正直に申せば、私の実弟も海軍士官として過般の大戦で戦死し、靖国神社に祀られています。 

戦前及び戦中の国の方針により、すべての戦没者は、一律に原則として靖国神社に祀られることになっており、日本国に於て他に一律に祀られておるところはありません。 

故に246万に及ぶ一般の戦死者の遺族は極少数の特定の侵略戦争の指導者、責任者が、死者に罪なしとゆう日本人独自の生死感により神社の独自の判断により祀られたが故に、日本の内閣総理大臣の公式参拝が否定される事には、深刻な悲しみと不満を持っているものであります。 

特に過般の総選挙で圧倒的大勝を私達に与えた自民党支持の国民は殊に然りであります。

私は、この問題の解決には更に時間をかけ適切な方法を発見するべく努力することとし、今回の公式参拝は行はないことを決断いたしたものであり、この間の事情について閣下の温かい御理解を得たく存ずるものであります。 

私は、日中間の如何なる困難な問題も、両国国民及び政府間の相互の理解と思いやりにより、双方の満足する適切な解決方法を、時によっては時間をかけても解決する実績を積上げつつ、更に更に強固な相互信頼と新たな発展を拡大強化することを念願致しております。 

今秋9月、東京と大礒におきまして日中友好21世紀委員会第3回会議が開催されることとなっており、既に日中双方の委員会は会議の成功のために精力的な努力を続けていると聞いております。

私はこの第3回会議の成功を心から祈るとともに、閣下を通じて王兆国座長以下中国側委員の御来日を歓迎し、お待ちしている旨お伝え下さい。  

閣下の御家族の皆様の御健康と御多幸を謹んでお祈り申し上げます。

昭和61年8月15日
内閣総理大臣 中曽根康弘

(財)世界平和研究所『中曽根内閣史』より引用


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[305]Re(1):アサヒビールと靖国神社
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/5/13(金) 8:32 -

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   >一国の首相の靖国神社詣でを、近隣諸国から文句を言われその代替施設を造るという。流石、国民の声に押されて沙汰やみになったようだ。いずれの近代国家も、その国に命を捧げる行為を最も尊い価値としてきた。その価値観の無くなった瞬間にその社会は衰退する。

その英霊たちは一体何に殺されたのか?と言う事など一度も考えた事のない人なのでしょうね。その「靖国」に殺されたのだ、と言う事など思いもやらないのでしょうね、歴史をきちんと学ばないと言うことは非常に哀れです。その価値観のあった時代のその社会は破滅したのだ、と言う事を学んでいない。

以下、某掲示板から まるまるさん と言う方の記事を転載します。


---沖縄修学旅行で生徒に語ったこと。---
「戦争」とは何か。今一度振り返ってみましょう。先の戦争「太平洋戦争」は、自分と関係ないとうそぶき、もっぱら「平和と繁栄」を謳歌している人もいます。
日本軍が先の戦争において中国大陸、東南アジア諸国、沖縄の人々に対して行った数々の残虐行為をどう考えたらよいでしょう。
「731部隊」「南京事件」「“従軍慰安婦”問題」「沖縄・集団自決」これらの問題に対する「教科書問題」……どれ一つとっても「戦後」は終わっていない。

ヴァイツゼッカー・元ドイツ大統領は述べています。「この過去を清算する事が大切なのではありません。それはわれわれに全く不可能であります。過去を変更したり、なかったようにしたりすることはできないのです。しかし、過去に対して目を閉じるものは、現在をも見る目を持たないのであります。かつての非人間的な事柄を思い起こしたくないとする者は、新しく起こる非人間的なる者の伝染力に負けてしまうものであります。ユダヤの人々は忘れることはないし、何度も思い起こすでしょう。我々は人間として、和解を試みないわけにはいかないのであります。」と。

「沖縄・チビチリガマの“集団自決”」下嶋哲郎著(「岩波ブックレット」)の中に、「遺族の人たち」は「黙っていたら犬死になる。見て二度と再び戦争はしない。平和を守るのだと考えてもらえたとき、犬死ではなくなる」と証言されている。「生きている者」の責任。「遺族の人たち」のメッセージは胸に大きくのしかかってくる。
「過去は現在の光に照らして初めて私たちは理解できるものでありますし、過去の光に照らして初めて私たちは現在をよく理解する事ができるものであります。人間に過去の社会を理解させ、現在の社会に対する人間の支配を増大させるのは、こうした歴史の二重機能にほかなりません。」(E・H・カー「歴史とは何か」岩波新書)

現在の私たちのあり方と過去は無縁ではありません。過去は過去で完結していません。異形の死を強いられた「沖縄」の人たち。戦争により、多数の人たちが非命に斃れていった。その人たちの無念の思いが、私たちの心を揺さぶり、もう一歩もう一歩と私たちを歩ませます。

「戦艦武蔵の最期」(「朝日選書」)の著者渡邊清は、「非命に斃れた死者との対話を忘れたところから日本の戦後は始まった」と。戦後の日本のあり方を悲しく無念の思いで語っています。
死者との対話、その対話が死者を生かしめる。われわれも生かしめられる相互の営みのあることを忘れてはなりません。

ハンスとソフィという兄妹が「ナチス」の支配に抵抗を呼びかけるビラを配布しました。その直後に逮捕され、処刑されました。ビラには次の言葉がありました。
「心に着せた無関心という名の外套を脱ぎたまえ。手遅れにならぬうちに、決断を」これこそ今の若者たちへの「メッセージ」ではないでしょうか。

日本人としてのアイデンティティは脅かされるかもしれませんが、私たちは、歴史にどこまで誠実に向かい合う事ができるのか。私たちに課せられた課題であるだけでなく特に若い人たちは学ばなければなりません。

チャップリンは映画「独裁者」の中で「貪欲が人々の心を蝕み、世界は憎悪の壁で隔てられ、…私たちに貧困と流血をもたらした。」「今こそ、地球上に存在するさまざまな民族の障壁を取り除き、貪欲や憎悪や不寛容をなくするために、自由な世界のために闘おう」と述べています。

「人を殺す」こと「死ぬこと」ばかり教えた戦前の教育。また戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」この言葉が、どれほど多くの国民に犠牲を強いたことか。
よく生きること、美しく生きること、そうしたことを問い尋ねる「沖縄修学旅行」であることを願っています。
近隣のアジアの国々に対して日本人は何をしたのか忘れてはならない。
---
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[306]Re(2):アサヒビールと靖国神社
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 ピッポ E-MAILWEB  - 05/5/13(金) 9:46 -

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   とほほさん
おはようございます。

私たち世代は、戦争に参加した親たちから、さんざん、
東京大空襲など、
戦争に巻き込まれた苦労、悲惨な体験談を聞かされました。

子供ながらに芥川竜之介の血の海地獄と
イメージがダブって、
熱にうなされたものです。(4歳頃か?)

そうした土壌がありますから、
物心ついて、
1)戦争参加への反省と批判
2)戦争に参加した自分自身の肯定
この2つで心が揺れ動く親たちの、1)を代弁することに
私たちは、何の抵抗もなかったのです。

私たちに影響を与えたのは、日教組教育よりも、
本質的には親たちの戦争体験です。

しかし、今の30代40代は違うようです。
心の土壌がないところに
「正義」の教師から戦争反省の「知識」を、
中高時代に外部注入されたため(1980年代)
戦争反省は上っ面です。

そこに、
「知識」よりも「心情」という伝播力の強いものを引っさげて、
歴史修正主義者があらわれ、WEBを根城に繁殖しました。

ですから
東中野、藤岡らにころっと騙されたり、
小林よしのりを世代リーダーと錯覚したりするのです。

私たちの世代は、
「心情論」に騙されて戦争を悔いていた親たちを見ていますから、
「心情を排し、理知を尊ぶ」を多としました。

しかし、この世代はちがいます。
「理知(=左翼)に騙されたあわれ」を
ニュースで見て育ちました。

  文化大革命の悲劇、ソ連東欧崩壊・・・そうして北朝鮮による拉致。

私たち世代が「心情論」に眉唾するように、
彼らは「理知論」に眉唾しているのです。

私はそれも健全性の現われだと思っています。
「事実を見る」※という世代間の共通項をしっかり追及すれば、
振り子は再び戻るでしょう。そう楽観しています。


※「正義を見る」「真実を見る」「観点をみる」だと、
 観念論に陥り、統一教会、オウムに走る、ということにもなりました。
 私が熱でうなされた疑似体験としての「戦争事実」も知らないのですから。

※「正義を見る」「事実よりも真実を見る」「正しい観点を養う」は、
 自分や家族の範囲しか思考の対象にせぬうちは、空理空論です。
 社会と個人という対置方は、この世代では、具体例が与えられていません。
 労組闘争も左翼政党も衰退していました。

※彼らの親である多くの「リベラルオヤジ」も、息子たちに与えられるのは「観念」だけ
 でした。「観念」を強要することは逆効果でもありました。
 しかし、今からでも遅くはありません。一緒になって、
 歴史事実の検証をこまめにやればいいのです。

あまいかな??
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