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[38]日独に対する米国のダブルスタンダード(人民日報評論) とほほ 05/3/22(火) 20:28
[41]Re(1):ライス米国務長官訪中が及ぼした大きな影響 ピッポ 05/3/22(火) 21:16 [添付]
[42]Re(2):ライス米国務長官訪中が及ぼした大きな影響 とほほ 05/3/22(火) 21:37
[93]Re(1):日独に対する米国のダブルスタンダード(人民日報評論) ある書き込み 05/3/31(木) 11:20
[94]Re(2):日独に対する米国のダブルスタンダード(人民日報評論) とほほ 05/3/31(木) 12:21
[95]Re(3):日独に対する米国のダブルスタンダード(人民日報評論) 書き込M 05/3/31(木) 13:16
[96]Re(4):日独に対する米国のダブルスタンダード(人民日報評論) とほほ 05/3/31(木) 13:24
[97]Re(5):日独に対する米国のダブルスタンダード(人民日報評論) 書き込M 05/3/31(木) 13:59
[99]Re(6):日独に対する米国のダブルスタンダード(人民日報評論) とほほ 05/3/31(木) 14:16

[38]日独に対する米国のダブルスタン...
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/22(火) 20:28 -

引用なし
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   まさに正論、二の句もない人民日報の評論です。戦前は孤立化する軍事大国ドイツに追随して道を踏み外した日本。今度も孤立化する軍事大国アメリカへのおべっか外交で同じ道を歩もうとしてます。

---
 米国のライス国務長官は19日、訪問先の日本での記者会見で、米国は日本が国連安全保障理事会の常任理事国になることを支持すると表明した。このことは、先だってブッシュ米大統領がドイツを訪問した時、やはりある記者が米国はドイツの常任理事国入りの希望をどう考えているかと質問したことを思い出させた。ブッシュ大統領は質問への答えで是非を明らかにせず、ただ米国は国連のアナン事務総長が国連改革の報告を提出する前にいかなる姿勢も表明しないと答えたにとどまった。

 実際、世界の人々の目では、日独両国は多くの共通点がある。日独は共に枢軸国を構成して第二次世界大戦を起こした国である。戦後は両国とも発展して世界の経済大国になった。国連負担金では両国とも国連に大きな貢献をしている。しかし人々は両国の相違点にも気が付かないわけにはいかない。まず、戦後のドイツ政府は世界に深刻な災いをもたらした第二次世界大戦を深く振り返って反省し、歴史を真正面からとらえ、勇気をもって戦争の罪の責任を負い、被害国への合理的な賠償と誠実な謝罪を行っている。一方の日本政府はここ数年来、さまざまな手を尽くして戦争責任を避け、戦争犯罪をごまかしてきた。政府首脳は靖国神社に何度も参拝し、しばしば歴史教科書を改ざんし、南京大虐殺のような史実さえも否定しようとする。このため、ドイツは誠実な謝罪によって欧州各国から許され、受け入れられ、欧州連合(EU)の中心的メンバーになった。一方、日本は罪を認めないことで、今なおアジア隣国から好感と理解を得られていない。

 では米国はなぜ常任理事国問題で、ドイツに冷淡で日本に好意的なのか。見たところ、根っこはやはりイラク戦争にある。2年前、イラク問題が国連で議論されていたころ、ドイツはフランスと共にイラクへの武力行使に反対し、ドイツは今なおイラクに一兵卒も派遣していない。ドイツの反戦の立場は米国を非常に憤らせ、米国の新保守主義派(ネオコン)はドイツを冷淡に扱う方針を打ち出した。ブッシュ大統領の今回の訪欧の意図は、傷ついた米欧関係の修復だったが、イラク復興や中東和平プロセス、イラン核問題などで「古い欧州」による急を要する支援を十分に得られなかったのである。実際、その内心の深いところで独仏などの反戦国に対して心を完全に開くことはできなかった。一方、日本はイラク戦争問題で無条件に米国に追随し、「道義的な支持」だけでなく、平和憲法の制限を顧みずにイラクの戦場へ自衛隊を派遣した。これは米国の歓心を買うことにほかならない。国連常任理事国問題で米国が日本を支持する一方、ドイツに冷淡であることもすぐ理解できる。

 ドイツのメディアは「米国はドイツと日本の安保理常任理事国入り問題における姿勢が一致しておらず、完全にダブルスタンダードを採っている」と指摘している。実際、米国は多くの他の国際問題においてもダブルスタンダードを採らないことがあるだろうか。(編集ZX)

 「人民網日本語版」2005年3月22日
--- http://j.people.com.cn/2005/03/22/jp20050322_48578.html より---
31 hits

[41]Re(1):ライス米国務長官訪中が及...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/22(火) 21:16 -

引用なし
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【添付ファイル】 〜添付ファイル〜
[削除されました]
  
▼とほほさん:
一方でライス様々。ぬかり無し(笑)中国外交。


ライス米国務長官訪中が及ぼした大きな影響

 米国のライス国務長官による中国観は、今回の訪中でほぼ明らかになった。「一つの中国」政策と中米両国の「率直で誠意ある建設的な協力関係」を重ねて表明し、パウエル前国務長官が言った「中米関係は史上最高の時期にある」との言葉を繰り返し、「自信のある平和で安定した中国の台頭」を歓迎し、中国が米国の「世界的パートナー」となることを望む、などだ。中には中国の人権や宗教の問題に対するマイナス評価や、欧州連合(EU)の対中武器禁輸措置解除への批判などもあるが、全体的な姿勢は積極的かつ楽観的であり、ライス氏がパウエル氏の対中融和姿勢を改めるのではないかという人々の懸念を払拭した。

 こうしたおおむね理性的、客観的、積極的な対中姿勢は、今のアメリカ国内で突然起きた対中政策の逆流に対してのバランス効果がある。ここ2カ月間、EUの対中武器禁輸措置解除問題や中国の「反国家分裂法」成立、中国の軍事力発展、中国による影響力の世界的拡大の問題などをめぐり、米国の保守勢力はいわゆる「中国脅威論」を蒸し返し始めた。米国のラムズフェルド国防長官やゴス中央情報局(CIA)局長などは米議会公聴会で比較的厳しい言葉を使い、中国の台頭が米国への脅威になる可能性を示した。米国と日本による安全保障協議委員会(2プラス2)は公然と台湾海峡問題を議題に含め、中米関係の良好な雰囲気に大きく影響を及ぼした。一方、ブッシュ政権は2期目を発足するにあたり、明らかに外交日程の焦点を中東、中央アジア、EU、ロシアとして、中国へは意図的に冷たくしている。こうした状況は人々に中米関係はどこへ行こうとしているのかと憂慮させている。このような特殊な時期におけるライス氏の訪中は、明らかに注目を浴びた。訪中前後に発表した一連の声明は、米国は米中両国の建設的協力関係の発展を引き続き推し進めるだけでなく、次第に進む「中国の台頭」をアジア太平洋における戦略的中心議題と見なすとともに、中国の「平和で穏やかな台頭」を願うものだった。これらは間違いなく中米関係を引き続き発展させることだろう。

 さらに注目すべき点は、ライス氏が第2次ブッシュ政権の閣僚らを調整した上でこうした発言をしていることだ。ウォルフォウィッツ、ボルトン、フェイスの各氏ら「新保守主義派」(ネオコン)の人物が次々と異動、もしくはこれから異動させられ、自然とライス氏による米国の国家安全保障政策を決める上での地位が上がってきた。このため、ライス氏のアジア観、中国観が第2次ブッシュ政権のアジア政策と対中政策の将来が決まると思われる。中国の指導者との顔を合わせた直接的な意思疎通と交流は、特に「反国家分裂法」制定後の台湾海峡情勢や朝鮮半島の核問題、EUの対中武器禁輸措置解除問題など両国が意見を異にする分野で「率直な意見交換」ができたことは、間違いなく信頼を増して疑いを解く積極的効果があった。

 ライス氏の訪中はまた中米首脳の戦略対話プロセスを正式に切り開いた。国交正常化から30年近い交流を経て、特に「9・11」米中枢同時テロがあってからは、反テロや朝鮮半島核問題などで著しく成果のある協力を行い、中米関係は新しい段階へと歩み始めた。その中心テーマは、台頭しつつある大国と現在の超大国とが長期にわたっていかにして平和共存できるかという構造的難題である。このため、中米両国は首脳間の戦略対話を必要とする。ライス氏の訪中は、彼女が就任以来掲げていた中国との戦略対話の幕開けとなっただけでなく、中米関係を長期にわたって穏やかに発展させ、両国の各レベル、各部門の間でより広く、より深い対話とコミュニケーションを必要とするものだ。(編集ZX)

 「人民網日本語版」2005年3月22日

http://j.peopledaily.com.cn/2005/03/22/jp20050322_48576.html
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[42]Re(2):ライス米国務長官訪中が及...
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/22(火) 21:37 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
> 一方でライス様々。ぬかり無し(笑)中国外交。

どこまで通用するか?アメリカ手のひらひっくり返し外交。ってとこですかね(^^;
あちこちで関係修復に躍起になってますが、さすがにどこもアメリカには逆らえない。

ラムズフェルドのドイツだかフランスだかの議会での「あの言説を発したのは昔の私で今は変わった」発言は笑えましたね。
しかし、やる事だけやって、殺すだけ殺しまくって、後は関係修復外交で鞘を納める、と言うのでは今後もアメリカの暴走はどこの国にも止められなくなる、今回のアメリカ外交でしっかりアメリカの手綱を引き締める事が国際社会には重要なのだと思います。第二次ブッシュ政権の暴走を二度と許してはなりません。
35 hits

[93]Re(1):日独に対する米国のダブル...
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 ある書き込み E-MAIL  - 05/3/31(木) 11:20 -

引用なし
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   > 実際、世界の人々の目では、日独両国は多くの共通点がある。日独は共に枢軸国を構成して第二次世界大戦を起こした国である。

独ソ戦を引き起こしたのは確かにドイツですが、その前にルーマニアに侵食した
(現モルドバが侵食地域)のはソ連ですし、
独ソのポーランド侵攻の事態にドイツに宣戦布告したのは英仏です。
日本軍の軍用電線修理兵擁護中隊の廊坊侵入を撃退しようとしたのは
中華民国第二十九軍の廊坊にある師団でした。
上海停戦協定を先に蹂躙して上海駐留中華民国政府軍を増強し、これに対抗
増強中の日本軍を包囲して撃退しようとしたのは中華民国政府軍でした。
日本政府が増派を決める前に「抗日戦争」を決意したのは中国共産党でした。

まず、戦後のドイツ政府は世界に深刻な災いをもたらした第二次世界大戦を深く振り返って反省し、歴史を真正面からとらえ、勇気をもって戦争の罪の責任を負い、被害国への合理的な賠償と誠実な謝罪を行っている。

ドイツ政府はユダヤ人への虐待加害問題にのみ責任を取り賠償し
その他の問題は留保しています。

一方、日本は罪を認めないことで、今なおアジア隣国から好感と理解を得られていない。

中韓朝の各国政府の理解は得られていないようですが
その他のアジア諸国政府の過去への言及はありません。
32 hits

[94]Re(2):日独に対する米国のダブル...
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/31(木) 12:21 -

引用なし
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   > 独ソ戦を引き起こしたのは確かにドイツですが、その前にルーマニアに侵食した(現モルドバが侵食地域)のはソ連ですし、独ソのポーランド侵攻の事態にドイツに宣戦布告したのは英仏です。

ふーーん、何でもよく知っている人のようですね(^.^)
ま、何よりもまずハンドルを変えてください。ここではその手のハンドルは認めません。一旦登録を抹消しますので改めて登録の時ハンドルを設定してください。

そして次に「日独に対する米国のダブルスタンダード(人民日報評論)」と言う主張の反論にはなっておらず、タダのイチャモンになっているのですが、この主張に対してはどのようにお考えですか?

以上を踏まえた上で、では、ソ連がルーマニアに進攻したのは何時?ハンガリーは何をしてました?ソ連はルーマニアを占拠したのですか?それは何時ですか?

> 日本軍の軍用電線修理兵擁護中隊の廊坊侵入を撃退しようとしたのは中華民国第二十九軍の廊坊にある師団でした。

廊坊というのはどこの国にあるのですか?なんでそんなところに日本軍がいるのですか?

>上海停戦協定を先に蹂躙して上海駐留中華民国政府軍を増強し、これに対抗増強中の日本軍を包囲して撃退しようとしたのは中華民国政府軍でした。日本政府が増派を決める前に「抗日戦争」を決意したのは中国共産党でした。

はーー(^^;
おなじみの盧溝橋共産党陰謀説ですか?大体上海とか満州とか盧溝橋とかはどこの国なのですか?何でそんなところに日本軍がいるのですか?

ここに登録するときヘッダはちゃんと読みました?

【否定論者、歴史修正主義者、自由主義史観主義者またはその支持者、信奉者の方の反論は大歓迎しますがその宣伝には一切協力しません。これらの方々は必ず下記をクリックして新旧板過去ログを検索し既に論理破綻しているか否かを確認してから投稿してください。過去ログの同様の話題について反論がある場合はその論説に対して反論してください。単なる過去の否定論主張の繰り返しは【宣伝】と判定される場合があります。】

宣伝とみなされると削除されるかしつこいようだと出入り禁止になりますよ、大丈夫ですか?

------
1917年の二月革命は共産革命ではありません、日本の状況に例えれば維新と同じです、つまり封建制の撤廃です。その後の10月革命でソビエト政権が生まれました、が、まだソ連邦の体制はできておらずシベリア一帯は極東共和国です。
辛亥革命は1911年〜1912年中華民国の成立です、これも日本で言えば維新にあたります(もっとも太平天国等日本よりもっと複雑ですが)。中共とは関係ありません。当時の状況を考えれば日本はイギリス、アメリカを共産化したいと考えていたふしがありソビエトはドイツの思惑でレーニンが台頭したと考えられ、1912年は日本軍部が急激に力を付け始めた年です(上原陸相辞表提出による倒閣)。

当時を東郷茂徳(2次大戦時外相、A級戦犯、獄死、1912年外務省入省)はこう回想してます。
「支那は日本なくとも存立し得るが、日本は支那なくしては存立し得ない」
そして1914年一次大戦に参戦、ドイツ権益の集中する三東半島に出兵、1915年の21か条要求にはじまり張作霖謀殺、第二次満蒙独立運動、満州事変になります。つまり日本は列強が中国からいなくなったのを見てこそこそと中国侵略を始めたのです。

因みに当時の中国体制は袁世凱「大統領」です、袁世凱は袁朝廷つまり帝政復活をもくろんでいたのです。その期を見て日本が清朝後裔粛親王をたて満州建国をたくらんだのが「第二次満蒙独立運動」です。これは当の袁世凱が1916年に死にましたので中止されますが、柳条湖事件まではもうすぐです。

とにかく当時の世界状況はそんな単純なものではありません、共産主義はまだ芽生えたばかりでその価値判断も難しい時期です、とにかく1次大戦後のロシア・ドイツの崩壊により日本は日独同盟を疑われ英米と「中国の利権」をめぐって利害対立する状況になるのです。
【日本が守っていたのは日本ではなく中国での日本権益です】
日本にとって1次大戦は列強がヨーロッパで戦争しているのを良い事に中国侵略を開始する絶好の機会だったわけです。

1920年の様子をみれば4月にアメリカがシベリアを撤兵してからシベリアに駐留しているのは日本だけとなります、つまり1918年から日本とアメリカは共同でソ連に武力干渉していたのです、注意すべきはこのとき日本軍が駐留していたのはソビエトではなく極東共和国である、と言うことです、こう言うことも知らないようじゃ北方領土問題を語る資格もありません、結局このシベリア駐留は4年に及び戦費9億円と3千5百人の戦病死者をだしてます。

一次大戦後の世界はそれまで帝国列強が築いてきた植民地支配帝国主義国際秩序の終焉です。一次大戦をほとんど無傷で過ごしヨーロッパの惨状も知らず一人帝国主義を未だに気取ってシベリア駐留を続けている日本はパルチザン部隊の攻撃(尼崎事件)にあい、これを口実に北樺太へ出兵し国際的な批判を浴びるようになります。

そして1921年の9ヶ国条約、4ヶ国条約、海軍軍備縮小条約が締結されるのです。これを強く認識してください。この条約に加えて日本が約束したのはシベリア撤兵と旧ドイツ権益の中国への返還(中国の補償金支払いが条件)です。
これが一次大戦後の新しい国際秩序となりワシントン体制と言われるものです。
アメリカが国際政治で発言権を持つようになるのはこれ以降です。

1922年にシベリア(極東共和国)撤兵したが、尼崎事件を口実に北樺太には依然として駐留するわけです。これにより極東共和国は日本と対抗するためにソ連に合流するわけです。極東共和国は反共政府だったのです。極東共和国はソビエト政府との国交のなかった日本にとって唯一の交渉窓口だったわけです。さらに日露戦争のポーツマス条約は帝政ロシアとの間に結んだものです。
ソビエト政府発足が1917年で1925年に日ソ基本条約を締結します。

アメリカの強力な反共プロパガンダがはじまるのはもっとずっと後のことです。
が、このプロパガンダに洗脳されっぱなしの日本人・アメリカ人がまだいるくらい強力なものではありましたが、反共プロパガンダによる冷戦構造は2次大戦以降です。

とにかく「歴史」と言うのはそんなに単純なものではありません。反共の視点で日清日露や2度の大戦等の軍国主義を語ったり単純な日米闘争で語るのがデタラメである事が少しはわかりますか?

日本の赤狩りが始まるのはもっと後です。その赤狩りの実態を良く調べてみる事ですよ。
中国の共産主義革命が起きたのは日本の敗戦後です。

実は日本人は【***さんが思っているほど】馬鹿ではないです、庶民も必ずしも乗せられていたわけではありません、この時期の日本の外務省記録を読むといいです、非常に複雑な世界情勢を知る事になるでしょう、そして優秀な日本の外務官僚がどれだけ事態打破に奔走したのか知ることでしょう。

5・15や2・26はなぜ起こったのだと思っているのですか?日本の資本主義体制破壊つまり天皇共産主義ですよ、姉や妹を身売りされている彼らの反体制革命です。それが力を付けたのがあなたの言う「一部軍部の奢り」です、靖国の英霊たちもこう言う馬鹿どもに祭り上げられたら死んでも死にきれないと言う事です、死んでまで利用されてたまるか、と言う事です。自分の言動がどれだけ日本人を馬鹿にしているのか気がついていただけたら、と思います。

>もし、あの時、日本が全て引き上げたらどうなっていたでしょう?。それこそ、今も一部の人が望んでいるユートピア共産社会になっていたのでしょうか(参考、朝鮮戦争)。私は恐ろしさを感じています。

あの時とはどの時のことですか中国侵略時のことですか?15年戦争時ですか?
21か条要求後敗戦までのことですか?1次大戦ですか?満鉄以降ですか?日露戦争以降ですか?日清戦争以降ですか?

共産主義イデオロギーの何が嫌いなのですか?朝鮮戦争を参考にしてもあなたの共産主義嫌いの理由がわかりません、日本が朝鮮戦争で大もうけして戦後復興を成し遂げた事くらいしかわかりません、封建制を誇らしげに語るくらいですから北朝鮮はあなた向けの国です。はっきりと共産主義は○○だから嫌い、と主張してください。私も共産主義嫌いですがあなたのような人の「お仲間」とは思われたくありません。

>***

上記の歴史的事実を認識しながら「迫りくる国難」について説明してください。
維新期の列強帝国主義と当時の世界状況をごっちゃにして列強への対抗の為仕方なかった、などと言う嘘八百は歴史観とは言いません。

武士道?戦国からの武士道と言うとどの武士道ですか?水戸学のことですか?
江戸期の庶民に武士道があったのですか?大体あなたに武士道が語れるのですか?

>***

確かに当然のことでありました。なぜ当然だったのでしょうか?
あなたのような軍国プロパガンダに皆乗せられたからですよ。あなたがここで普段主張している事は全部当時の国家が行っていたプロパガンダであり、国家が大嘘をついていたのです。実際に日本がやっていた事は上記の通りです。**歳にもなって「まともな」歴史書の一つも読んだ事がないのですか?これから年金をもらわなくてはならないので若者に国家意識をもたせて年金を払わせるプロバガンダをしているのですか?大丈夫ですよあなたの年金はちゃんと共産党が払ってくれるといってますから、共産党に投票すると良いですよ。

>***:

だれが「若き青年たちの犠牲を、今の時代の価値観で批判することの愚かさが分からない」人間なのかよく胸に手をあてて考える事です。士農工商のすばらしい身分制度は年金なんか払ってくれませんよ。戦場で戦死した大半は餓死です、つまり犬死です。そして日本軍は何百何千万ものあなたの兄さんを、ねえさんを弟を妹を父を母を虐殺したのです。それが現実です。

あなたが本当に愛国者であればまずそれらの人に頭を下げなさい。広島・長崎の人々に頭をさげなさい。沖縄の人に頭を下げなさい。中国の人に頭をさげなさい。
朝鮮半島の人に頭をさげなさい。南方の人々に頭を下げなさい。そして戦死していった人々に頭をさげなさい。東中野や藤岡や西尾を読んでいる暇があればそうする事が本当の愛国心です。そしたらそう言う馬鹿げた捏造歴史に頼らずとも日本に誇りが持てるようになりますよ。あなたの投稿のほとんどはこのばか者どもの受け売りである事はみんなわかっているんです。
46 hits

[95]Re(3):日独に対する米国のダブル...
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 書き込M E-MAIL  - 05/3/31(木) 13:16 -

引用なし
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   >そして次に「日独に対する米国のダブルスタンダード(人民日報評論)」と言う主張の反論にはなっておらず、タダのイチャモンになっているのですが、この主張に対してはどのようにお考えですか?
>

米のダブスタ説には異論ありません。

>以上を踏まえた上で、では、ソ連がルーマニアに進攻したのは何時?ハンガリーは何をしてました?ソ連はルーマニアを占拠したのですか?それは何時ですか?
>
>> 日本軍の軍用電線修理兵擁護中隊の廊坊侵入を撃退しようとしたのは中華民国第二十九軍の廊坊にある師団でした。
>
>廊坊というのはどこの国にあるのですか?なんでそんなところに日本軍がいるのですか?

北京天津間の軍用電線が廊坊で切れました。その事件がなんども起きているのに
不安になって廊坊電線修理兵に修理兵擁護の中隊を「支那駐屯軍」はつけました。

>
>>上海停戦協定を先に蹂躙して上海駐留中華民国政府軍を増強し、これに対抗増強中の日本軍を包囲して撃退しようとしたのは中華民国政府軍でした。日本政府が増派を決める前に「抗日戦争」を決意したのは中国共産党でした。
>
>はーー(^^;
>おなじみの盧溝橋共産党陰謀説ですか?大体上海とか満州とか盧溝橋とかはどこの国なのですか?何でそんなところに日本軍がいるのですか?

日華両国と上海駐在の列国代表団公認の上海停戦協定で
日華両軍の上海配置のあり方が規定されています。
中共は日華開戦前の1936年8月1日に抗日宣言を発しています。
32 hits

[96]Re(4):日独に対する米国のダブル...
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/31(木) 13:24 -

引用なし
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   ▼書き込Mさん:
>米のダブスタ説には異論ありません。
では何が言いたいのですか?

>北京天津間の軍用電線が廊坊で切れました。その事件がなんども起きているのに
>不安になって廊坊電線修理兵に修理兵擁護の中隊を「支那駐屯軍」はつけました。


だから北京はそこはどこの国なのですか?電線修理になんで軍隊がいるのですか?

>日華両国と上海駐在の列国代表団公認の上海停戦協定で
>日華両軍の上海配置のあり方が規定されています。
>中共は日華開戦前の1936年8月1日に抗日宣言を発しています。

その停戦と言うのはどこの国とどこの国がどこで戦争していたのですか?
過去ログ読んでください。ちゅうよりせめて私が書いている事くらい読めよ。マジで宣伝に来てるの?(^^;
34 hits

[97]Re(5):日独に対する米国のダブル...
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 書き込M E-MAIL  - 05/3/31(木) 13:59 -

引用なし
パスワード
   >だから北京はそこはどこの国なのですか?電線修理になんで軍隊がいるのですか?

北京議定書(義和団事件処理規定)には「居留民保護」目的の列国の軍隊駐留を
認めています。北京と天津には日本軍駐留を議定書は認めていますし
蒋介石政権も日華開戦以前もその議定書の有効性を認めています。
で、その「居留民保護」任務に必要な軍用電線が修理しても修理しても廊坊で
切れてしまうのです。

>>日華両国と上海駐在の列国代表団公認の上海停戦協定で
>>日華両軍の上海配置のあり方が規定されています。
>>中共は日華開戦前の1936年8月1日に抗日宣言を発しています。
>
>その停戦と言うのはどこの国とどこの国がどこで戦争していたのですか?

第一次上海事変の交戦当事者くらいご存知でしょ?

>過去ログ読んでください。ちゅうよりせめて私が書いている事くらい読めよ。マジで宣伝に来てるの?(^^;

何をおっしゃりたいので?
40 hits

[99]Re(6):日独に対する米国のダブル...
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/31(木) 14:16 -

引用なし
パスワード
   >北京議定書(義和団事件処理規定)には「居留民保護」目的の列国の軍隊駐留を認めています。北京と天津には日本軍駐留を議定書は認めていますし蒋介石政権も日華開戦以前もその議定書の有効性を認めています。
>で、その「居留民保護」任務に必要な軍用電線が修理しても修理しても廊坊で切れてしまうのです。

何で、日本軍が駐留しなきゃいけないのか聞いているのよ。頭大丈夫?何しに中国に駐留しに行ったのよ?

>第一次上海事変の交戦当事者くらいご存知でしょ?

なんで戦争しているか聞いているのよ、頭大丈夫?

満州事変以降の日本の華北進出に日中関係は悪化していた。
各地で抗日勢力との局地的な衝突が繰り返され全面戦争へむけ世相はエスカレートする傾向にあった。
中国側は「一面抵抗一面交渉」のスローガンの元日本との小競り合いの中、本土統一を成し遂げ国共統一戦線を完成しこれ以上の対日譲渡を行わない、との基本姿勢が固まりつつあった。

日本側では一般市民は政府マスコミの喧伝する「暴支庸場」のスローガンの元、「中国など一撃で屈服する」と言う楽観派が主流であった。が軍部においては「全面戦争は中国共産党に利するのみ」と言う不拡大派が上層部の主流であり拡大派と激しく論争していた。

#余談、この当たりは映画「ラストエンペラー」で紹介されるよな日本軍部ののイメージと言うは実際とは異なっているのではないでしょうかね?(^^ゞ欧米はこの辺の思想や本質を正しくは理解してないですね。向こうの人にとっては信じられない事なのかも知れませんが、個人個人は中国の皇帝に対し心からの敬意を持っていたであろうし日本人個人の中に自己益追求の為の満州建国と言う観念はなかったはずです。甘粕さんと言う人物描写はちょっと気の毒だとおもいます。

そんな中 1937年(昭12)7月7日北京郊外の盧溝橋で数発の銃声が響いた。盧溝橋事件の発端である。夜間演習中の日本の支那駐屯軍の小部隊に向けて発砲があったのだ。通常では現地交渉で解決していた程度の事件である、事実その様な解決に向かっていたはずであるが突如としてこの小競り合いが拡大し1ヶ月後には全面戦争に突入する事になるのである。

この事件がなぜエスカレートしてしまったのか?、「一触即発」と捕らえらる事も出来る当時の状況を考えて見ると当然の様にも思えるが、兎にも角にも全面戦争の発端となった事件である、次に考えて見たい。

#「一触即発」?、、「一発触発」だっけ?(^^;

さてこの事件の報が上層部にどの様に伝わりまたどのような対応があったのかを検証して見よう。

まず問題の発砲事件に付いては諸説あるようですが隊から迷子になった兵士がうっかり敵陣に近づき過ぎたために銃撃された、と言う説が有力の様です。

○登場人物解説中隊長清水節郎大尉 発砲を受けた部隊の指揮官大隊長一木清直少佐 その上官連隊長牟田口廉也大佐 同じく

7日発砲を受けた清水中隊は即座に演習を中止し点呼した所一人の兵士の行方不明が発覚。牟田口大佐に報告が入り大隊長一木少佐に対し「戦闘隊形で中国側と交渉するよう」との命令をだす。命令を受けた一木少佐は大隊を引き連れて盧溝橋に出発。

8日午前2時すぎ到着すると行方不明の兵士は帰隊していた。従って命令にある解決すべき事件は解決済みであり兵を引き上げて本来の任務に復帰すべきであった。しかし、

「実弾射撃をやれば日本軍は演習をやめて逃げて行くという観念を彼等(中国軍)にあたえるのは遺憾だから」という理由で「断然攻撃したい」と牟田口に電話し、許可を得て「軍の威信上奮起し」、夜明けをまって攻撃した。(#一木少佐本人の証言)

とあるように実態は定かではないがとにかく日本軍は発砲のあった中国軍陣地竜王廟を制圧したようです。その後局地的な停戦協議を経て、

11日停戦協定成立協定内容
> 中国側当事者である第29軍代表の日本軍に対する遺憾の意の表明と責任者の処分、廬溝橋からの中国軍の撤退、抗日団体の取締り


と言う事で一旦この事件は収束する事になる。ただ、ここで注意しておかねばばならないのはこの協定内容の理不尽さである。中国軍は夜間陣地付近をうろつく不審者を銃撃したに過ぎない。(詳細は不確かであるが、、。)

しかもそこは中国領であり日本軍は中国領で演習を行っているのである。敵対する国家の軍が自軍の陣地の目と鼻の先でしかも領内でこれ見よがしに演習を行っているのである。

さて、理不尽ではあっても一旦収束したこの事件は事実実際にはその後拡大してしまった。両軍首脳の動きを動きを追わねばなるまい。次にそれを検証して見たい。

○停戦協定のあったその日近衛内閣は五師団の華北派遣声明を出している。
7/28、支那駐屯軍の北京総攻撃
7/29、通州事件を経て7月末には北京、天清を占領。</font>

○増兵を待って南下作戦を開始。
8/13、上海で戦闘開始(第2次上海事変)陸軍上海派兵閣議決定
8/15、上海派遣軍編組、近衛内閣南京政府断固膺懲声明、日中全面戦争突入南京渡洋爆撃
8/31、北支那方面軍編成

#宣戦布告も行わず北支事変支那事変と呼び戦争ではないと主張しながら他国の都市を武力で制圧していくこの現象を「侵略ではない」と言う人の頭の中を覗いてみたい。

例えばここで「南京事件」岩波新書の著者笠原氏の手法を真似て先に南京渡洋爆撃から海軍の動きを見てみよう。8/15 の段階では日本軍中央と政府は不拡大方針をとりこれは決して戦争ではない、と言う対外姿勢を打ち出していた。確かに軍中央は中国との戦争突入は避けたかったに違いない。外務省東亜局長の石射猪太郎氏の日記からよく引用される資料からその辺の苦悩が伺える。あくまで宣戦布告でなく南京政府断固膺懲声明でならねばならなかった。(実質戦争が起こっているのは派遣軍をコントロール出来ずにいた為)このような立場の日本にとって南京爆撃など行う理由はなかった。

笠原氏は海軍の戦略意図から強行されたものである、と見ている。ここで強行と言うのはこの爆撃が実験的な長距離爆撃であり天候的にもかなり無理を押しての出撃であった事を指す。

陸軍は「北進論」(ソ連が主敵)でありそれが日本のそれまでの外交政策であったが、海軍はそこに「南進論」(米英が仮想敵国)を入れさせ改定させている。

海軍内にはその軍備に関して二派の対立があった所謂「戦艦決戦思想」「巨艦巨砲主義」と山本五十六中将に代表される「航空戦力主体、戦艦無用論」の二派の対立である。が海軍の主流は戦艦決戦思想であり、先の英米との決戦を見越した山本五十六はなんとしても航空戦力の有効性を認めさせたかった。しかも対米戦略の主な骨子である「地上基地から戦略爆撃」の実験演習的にも実現したかった。

#ここで注意、当時首都への無差別爆撃など明らかに戦規違反であり人道的見地からも容認できるものではなかった、事実この爆撃により日本は外交上孤立してしまった。ゲルニカ爆撃を除きそれを行ったのは日本が最初である。(この辺不確か歴史年表でどっちが先か調べてください。その上陸軍は虐殺事件を引き起こしてしまったのだ。それまでの戦争と言うのは軍人だけの殺し合いであった。

ここに南京渡洋爆撃は敢行される事となる。「爆撃はかならずしも目標に直撃するを要せず、敵の人心に恐怖を惹起せしむるを主願とするをもって、敵の防御砲火を考慮し、投下点を高度二千ないし三千メートル付近に選定し、かつ一航過にて投下を完了するごとく努められたく」南京空襲部隊制空隊の戦闘要領に関し希望事項と言う通達を伴いながら、、、、。

この宣戦布告を伴わない無防備都市への爆撃は中国全土に及び、南京城区だけで民間人392人死亡、破壊家屋七、八百戸に達した。世界の世論は一斉に日本を非難した。が南京市民にとっては単なる前兆に過ぎなかった、、、、、。

この海軍の戦略爆撃は、外国からの非難を外交的手段でかわし孤立を避る為に上海戦を、局地的な紛争で片付けたかった軍中央及び政府の思惑を吹き飛ばしてしまった。軍部内の拡大派が急速に台頭してきたのである。

この状況を踏まえて、話を戻し陸軍の動きを追って見たい。海軍の南京爆撃は解説したようなわけでしっかりとした作戦計画に沿った、行動であったが、陸軍は対照的に行き当たりばったりのなし崩し的な戦争突入であった。(笠原見解)

○盧溝橋事件発生時陸軍中央参謀本部首脳 *(拡)拡大派 *(不)不拡大派
参謀総長 閑院宮載仁親王 元帥   
+参謀次長 (不) 今井清 中将   
+総務部長 中島鉄蔵 少将   
+第一部長(作戦) (不) 石原莞爾 少将   
+作戦課長 (拡) 武藤章 大佐   
+戦争指導課長 (不) 川辺虎四郎 大佐   
+第ニ部長(情報) (不) 渡久雄 中将   
+欧米課長 丸山政男 大佐   
+支那課長 永津佐比重 大佐   
+ロシア課長 笠原幸男 大佐   
+第三部長(運輸) (拡) 塚田功 少将   
+第四部長(戦史) (拡) 下村定 少将   
(参照資料、笠原「南京事件」、ただし一部派閥判定は とほほ の主観)

盧溝橋事件発生時事実上の統括責任を持つ今井清参謀次長は病気欠勤中。次長代行の立場にたつ石原莞爾少将は不拡大派の筆頭論者である。石原少将は「事件不拡大、現地解決」の方針を打ち出し各部長を説いて閑院宮参謀総長の決済を取りつけ参謀本部の不拡大方針を決定させた。

しかしこの決定に従い迅速に行動すべき直属の武藤章大佐はこれまた拡大派の筆頭論客であった。彼はこの参謀本部の決定に真っ向から反対し石原少将と激しく対立した。

さて軍内部に置いて上層部の決定に逆らい反抗するなど当時の日本軍の状況を持ってしてもあるまじき事である。なぜ武藤大佐のこのような姿勢が通用したのかは検証せねばなるまいが後に回して拡大派と不拡大派のそれぞれの論旨を先に見てみよう。

○石原を中心とした不拡大論目下は満州国建設の完成に専念し、対ソ軍備を完成し、これによって国防の安固を図らねばならぬ時期に、もし支那に手を出してこの計画を支離滅裂にしてはならない。今や支那は昔の支那でなく、国民党の革命は成就し、国家は統一せられ、国民の国家意識は覚醒している。日支前面戦争になったならば支那は広大な領土を利用して大持久戦をおこない、日本の力では屈伏できない。日本は泥沼にはまった形となり、身動きができなくなる。日本の国力も軍事力も今貧弱である。日本は当分絶対に戦争を避けて、国力・軍事力の増大を図り、国防国策の完遂を期する事が必要である。

○武藤を中心とした拡大論支那は統一不可能な分裂的弱国であって、日本が強い態度を示せばただちに屈従する。この際支那を屈伏させて概して北支五省を日本の勢力下に入れ、満州と相まって対ソ戦略体制を強化することが必要で、盧溝橋事件はそれを実現するため、願ってもない好機の到来を示すものである。この事件は楽観を許さない。これに対処するには力をもってする他に方法はない。それには兵力を増派して、状況によっては機を失せず一撃を加える。これによってのみ時局の収集ができるのである。
(以上『軍務局長武藤章回想録』、笠原(南京事件)より)

#この論戦を見てもわかるとおり拡大派の論旨は戦略政策等に乗っ取ったものではなく偶発的に起こったこの事件を口実になんの戦争準備もないに関わらず、戦略外交上の大義名分もなく単にその領土欲から発していることは万人が頷けるのではないだろうか?どなたかこの論の中にに国策上必要であった、等と言う論理を組み立てられる方がいましたら屁理屈でも構わないので是非ご披露願いたい。

この武藤大佐の拡大論が軍上層部に対し対立しえたのは陸軍中央中堅層の多数派であった事が下地にはなっているとしても軍内部の軍事作戦が多数決で決まるような軍は古今東西ありえず、軍として成り立つはずもない。もう少し検証してみようと思う。

この辺の様子は「笠原『南京事件』」でよく検証されている。笠原によるとつまりは当時の陸軍上層部は所謂下克上の風潮があり、手柄をたてた者の勝ち、と言う体質であったと言う。

例えば不拡大論者筆頭の石原莞爾少将自身がその様にしてその地位に上り詰めた人間であった。彼が関東軍参謀時代中央や上層部の統制を無視して謀略による柳城湖事件でもって満州事変を主導し成功を収めた、と賞され中央要職に栄転した者であった。

つまりその彼の姿勢を部下である武藤は見習ったのだ。

「われわれは[満州事件のときの]あなたのされた行動を見習い、その通りを内蒙で、実行しているものです」と答え、「そういうや否や、他の青年参謀どもが口を合わせて哄笑した」と言うのである。今村はさらに、石原や板垣征四郎らの「出世物語」が陸軍中央の参謀将校や外地の各軍幕僚多数のあいだに、「軍人の第一義は大功を収める事にある。功さえたてれば、どんな下克上の行為を冒しても、やがてこれは賞され、それを抑制しようとした上官は追い払われ、統制不服従者がこれにとってかわって統制者になり得るものだ」という軍紀紊乱の機運を醸成した。と記している
(藤原『南京の日本軍』、笠原『南京事件』)

とこれは南京事件の前年36年の出来事であるがこのような機運が陸軍中央に蔓延しており武藤を初めとする不拡大派は独断専攻をものともしない野心家を中心に形成されていた。

石原は上海出兵を断固阻止したく精力的に説得を続けたがついに押さえる事は出来なかった。

「今次の上海出兵は海軍が陸軍を引きずって行ったものといっても差し支えないと思う・・・・・・私は上海に絶対出兵したくなかったが実は前に海軍と出兵する協定がある」
(「石原莞爾中将回想応答録」)

とあるように実体は統制力のない陸軍を海軍内部の戦略野心による作戦行動が牽引し上海出兵が敢行された、と見るのが私には自然である。どこをどう見たら大東亜共栄圏の理想や正義感による出兵であったと見る事が出来るのか摩訶不思議、、、。

海軍の開戦理由対英米との決戦を見越した航空戦力の自軍戦艦巨砲主義者に対するデモンストレーション。陸軍の開戦理由盧溝橋事件は現地指揮官の顕示欲によるもの。中央は拡大派の暴支庸懲にみられる弱国に対する侮蔑差別観に支配された出世欲によるもの。政府の開戦理由何事も軍隊様のおっしゃる通り。

私にはどこをどう見てもこの様にしか見えない。どこに大東亜の理想や正義が在ったのだろうか?ぜひ教えてもらいたい。


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