|
二人の弟を戦争で失った、小川武満氏は、 遺族の立場を支えるものとして、 以下の二つの点を挙げています。 (小川武満「遺族として思うこと」わだつみ会編『天皇制を問いつづける』筑摩書房、1978)
第一は、 「再び遺族の悲しみを味わわしてはならないという平和に対する切なる祈り」 です。
この点は多くの遺族が見解を一致させるところです。
第二は、 「戦没者の死を、天皇のため、国のための名誉の戦死として、これを肯定し、誇りとする遺族の心情」 です。
この第二の立場からくる心情が、靖国神社国家護持、天皇の公式参拝を 求める原動力となるのですが、 小川氏は、この第二の立場を強く批判します。
「この第二の立場は、平和を求める遺族の第一の立場と全く反対の方向、即ち、戦争肯定の方向に遺族を導く危険がある。何故なら過去の戦争は、天皇の命により、国のために敵を討つ聖戦として行なわれている。しかも東洋永遠の平和のため戦った。この事実を肯定し、讃美することは、将来、再び、平和のためとの名目で、天皇の命であり、国のためと言われるならば、よろこんで戦い、敵を殺し、自分も死んで行くことになる。」
軍医として、戦争を行った日本が行き着いた先を見てきた 小川氏の言葉は非常に重いです。
「自分の生命を守るため、自分の国家のためならば、どんな恐ろしい殺人も、強奪も、虚偽も、あらゆる犯罪行為も戦時中の非常事態として、平然と行なって、しかも、何らの罪責をも感じなくさせる。」
「正常な人間は、このような異常な非人間的戦争の現実の中で、発狂し、戦争ヒステリー状態に陥り、自律神経の失調にもとづく、いろいろな身体症状を呈する。…戦争が徹底的に、人間の精神と肉体を破壊しつくすものであることを知った。」
「十八歳の私が、中国民衆のため、日本を守るため、平和のためと思って銃を取った結果は、とんでもない地獄のような泥沼に落ち込んでしまったのだ。」
「国のため」という名分があれば、そこで思考を停止していいのでしょうか。 「国のため」の先にあるもの、「国のため」が行き着く先を見据えることが大切だと思います。
| |