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[9]文藝春秋社『話』(昭和十三年四月号) ゆう 05/3/19(土) 10:33
[10]それにしても筆者の北村文夫さんは ピッポ 05/3/19(土) 11:02
[11]Re(1):それにしても筆者の北村文夫さんは とほほ 05/3/19(土) 11:22
[12]Re(2):それにしても筆者の北村文夫さんは ピッポ 05/3/19(土) 17:26
[13]Re(3):それにしても筆者の北村文夫さんは とほほ 05/3/19(土) 17:49
[15]Re(4):それにしても筆者の北村文夫さんは ピッポ 05/3/19(土) 18:22
[19]Re(1):それにしても筆者の北村文夫さんは 渡辺 05/3/21(月) 12:29
[23]Re(2):話を文藝春秋社『話』にお戻しします ピッポ 05/3/21(月) 13:45

[9]文藝春秋社『話』(昭和十三年四...
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 ゆう E-MAILWEB  - 05/3/19(土) 10:33 -

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   戦前の日本では、「南京事件」の実態がメディアに載ることはほとんどなかった、と言われます。しかし意外なことに、文藝春秋社が発行する総合誌『話』の昭和十三年四月号に、しっかりと「海外報道」が紹介されているのを見かけました。もちろん、「デマ記事」の例としての紹介ではありますが。


*********************************

英・米・ソ・仏各国の「反日黄禍論」のデタラメ振りを暴く   北村文夫

次に日本軍将兵の行動についても、殊に南京占領後一斉にその暴行云々の記事を掲げ、殊にテレグラフ紙や、英国共産党の機関紙たるデイリーワーカー紙の如きは、香港通信として、信頼出来る筋から出た詳報と称して大体次のやうなデマ記事を報じてゐる。

「日本軍は南京占領後、数週間に亘つて戦慄すべき狂暴振りを示し、あらゆる財産は外支人の見境なく一様に掠奪破壊された。教会や寺院は掠奪され、図書館、病院などは焼打の難に遭ひ、多くの支那人は虐殺され、避難民は住むに家なく、飢餓と困窮の裡に累々たる屍体の間をさまよふ有様で、婦女子に対する襲撃は白昼日本大使館の真ん前でも行はれた。」と。

デイリーワーカーの如きはあやしげな写真まで添へて毒づいてゐる。然しながら、最近事実が明かにされたやふにその暴行の本人の正体は、日本語のわかる支那人であつたのだ。

(『話』昭和十三年四月特大号 P96)

*********************************


いきなり「日本語のわかる支那人」なるものが登場します。以前紹介したこの記事が、そのソースだったのかもしれません。記事は「2月17日」付で、この文章は「四月号」ですから、だいたい時期は合いそうですね。

http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/ivhqrf/urwqrf.html#urwqrf

しかしまあ、たった11名の強盗団が、これだけの規模の大事件を引き起こしてしまうとは・・・。北村氏、疑問を感じなかったのでしょうか。


『話』の同じ号に、ヴォートリン女史が守る「金陵大学」の話も出てきます。「乱暴な日本兵から女性を守るための避難所」としての「金陵大学」が、どのように紹介されているかと言うと・・・。


*********************************

「上海・南京十六話」  新国劇文芸部 樋口十一

11 金陵大学

事変前は米国人が経営の金陵大学も、今は女子難民収容所にあてられてゐる。

ここに毎日々々、難民区の男どもが押しかけてワイワイ騒いでゐる。

彼らの女房子供が今でも収容されてゐるのだ。

彼女たちは自分の夫であり、父である、同じ昔は家族であつた者達にさへ、恐れを抱いて会はうとはしない。

それ程に支那の男は、支那の女達から恐がられてゐるのである。それも、これも元はと云へば敗残兵の仕業からである。

金陵大学の門前、市をなして、男どもは自分の女房、子の名前を呼び続けてゐる。

そして「女房の手を見た」「いや、己は女房の爪先を見た」と口々にわめき乍ら、僅かに無事であることを知つて慰めてゐるに過ぎない。

不幸な国民である。

併し我が軍は今も彼等を充分に守つてやつてゐる。(P112)

*********************************


まともなのは最初の三行だけ。あとは一見して、そんなアホな、と突っ込みを入れたくなるようなトンデモ記事です。筆者は、どこからこんな「妄想」を仕入れたのでしょうか?
38 hits

[10]それにしても筆者の北村文夫さん...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/19(土) 11:02 -

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   それにしても筆者の北村文夫さんはかなりの豪傑ですね。
また、文芸春秋社も当時のほうが今日より背筋がしゃんとしていた。

私がそう思うのは、
『英国共産党の機関紙たるデイリーワーカー紙』記事を
堂々と翻訳、名称を伏せずに引用したからです。

命がけだったのではありませんか?
治安維持法下、戦争体制強化の中で・・・

北村文夫さんとは、一体どのような人だったのでしょうか?
その後の消息はいかがだったでしょうか?
41 hits

[11]Re(1):それにしても筆者の北村文...
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/19(土) 11:22 -

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   ▼ピッポさん:
>私がそう思うのは、
>『英国共産党の機関紙たるデイリーワーカー紙』記事を
>堂々と翻訳、名称を伏せずに引用したからです。

うーーん、おっしゃる事がよくわかりませんが「デイリーワーカー紙」の記事を引用する事がなぜ豪傑である、との主張に繋がるのでしょうか?

つまり当時は外信を読むことは出来なかった、外信は配信されていなかった、にもかかわらず軍部の規制の目を逃れて記事を引用反論したから?という意味ですか?
だとしたらどうなのでしょう?よく調べた事はないのですが国内で外信や外国語の新聞などは別に検閲も受けていなかったのではないでしょうか?

だからこそ翻訳できたわけでしかもその内容は批判記事です。別に豪傑でもなく御用記者の誤用ちょうちん記事の印象程度にしか私は受けませんが、ピッポさんの見解をもう少し詳しく聞きたいですね。

よく知らないとはいえ、当時日本にいた外国人文化人等は小泉八雲をはじめ激しく日本の15年戦争初期の実態を掴み批判しています。もっとも赤狩り等が激しくなるのはそれ以降のような気もしますが、、、。

>命がけだったのではありませんか?
>治安維持法下、戦争体制強化の中で・・・

ちょうちん記事なら命がけの必要はありません。
52 hits

[12]Re(2):それにしても筆者の北村文...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/19(土) 17:26 -

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   ▼とほほさん
おはようございます。

>つまり当時は外信を読むことは出来なかった、外信は配信されていなかった、にもかかわらず軍部の規制の目を逃れて記事を引用反論したから?という意味ですか?

外信は配信されていたでしょう。しかし、はたして、英国共産党機関紙「デーリーワーカー」をそのまま記事に出来たかどうか? 検閲を逃れるため、外国報道批判記事、戦争提灯記事にしたとも考えられます。

雑誌はともかく新聞では、「共産党」というものの存在を示すような記事すら、まずかったのではないかと推量します。

もっとも以上は、下記のような資料を読んでの私の推測に過ぎませんけど。
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/pdf_file/030626_media.pdf

『(前略)
1937(昭和12)年7月に、日中戦争が起きると、新聞紙法第27条が発動された。
「陸海軍大臣、外務大臣は軍事・外交の記事の禁止、制限をすることができる」という
内容で、陸、海軍省令、外務省令で記事掲載が制限された。
8 検閲から総合的な言論統制へ
 日中戦争による本格的な臨戦体制から、マスメディア統制も従来の検閲という消極
的な抑圧統制から、国民を積極的に戦争体制に協力、同調させていく方向へ転換、
情報操作、プロパガンダ機能を重視した稔合的な組織、体制づくりがおこなわれた。
1938(昭和12)年4月、国家総力戦を目指した準戦時体制の国家総動員法が公布
されると、メディア統制も事業面から休止、合併、解散の命令(同16条)という生殺与
奪の権限が政府に握られることになった。
記事掲載の禁止、制限という言論面だけでなく、企業体としての生存にかかわる心臓
部を押さえられ、その後におこなわれる新聞の統廃合、一県一紙への道を開く結果と
なる。
 さらに、積極的なプロパガンダ体制づくりとしておこなわれたのは、内閣情報局と国
策通信会社「同盟通信社」 の組織、設立である。
1936(昭和11)年1月に「電通」、「連合」の両通信社を強引に合併させて「同盟通信
社」を誕生させた。内閣情報委員会が万難を排して、合併、同盟発足のために協力し
た。
(攻略)』


>よく知らないとはいえ、当時日本にいた外国人文化人等は激しく日本の15年戦争初期の実態を掴み批判しています。もっとも赤狩り等が激しくなるのはそれ以降のような気もしますが、、、。

それは、自由主義狩りでしょう。赤狩りはもっと前から徹底していたはずです。

>>命がけだったのではありませんか?
>>治安維持法下、戦争体制強化の中で・・・

「××党」はおそらく批判の対象どころか、存在を暗示することすら許されなかったのではないかと、推察します。

>ちょうちん記事なら命がけの必要はありません。

ちょうちん記事のなかでしか書けなかったことかもしれません。××党。
またマルキストならば、ちょうちん記事のなかに「真実」を見出したかもしれません。
そこで、著者の系譜・消息が知りたかったのです。

※(追記)
とほほさん、だれか別人と勘違いでは?
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/yakumo.html
51 hits

[13]Re(3):それにしても筆者の北村文...
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 とほほ E-MAILWEB  - 05/3/19(土) 17:49 -

引用なし
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   ▼ピッポさん:
>とほほさん、だれか別人と勘違いでは?

そうかそうか(^^;
小泉八雲は没後100年だから15年戦争とは関係ないですね、ただ小泉が日本の侵略戦争を批判していたのをそのように勘違いしてました。

とすると、北村文夫は戦争の実態を報道するためにあえて危険をおかしてちょうちん記事を装い外信を翻訳して報道した、と言うスタンスでピッポさんは評価しているのですね?うーーーん、やっぱりどうかと思うな。

赤狩りの実態についても以前に調べた事があるけど(年表まで作ったのだけどその記事を見つけられない(^^; )15年戦争初期ではまだそれほどでもないですよ、厳しくなり始めた頃とは言えるけど、、、。当時の外信は一斉に日本を批判しています、そうした外信報道は少なからず国内にも届いていた、従って現在の否定論のような陰謀説で国内のメディアは外信を批判する、別に深く裏を読まなくてもさもありなん、って感じですけどね(^^;

しかし、今後のピッポさんのご研究に期待します。
60 hits

[15]Re(4):それにしても筆者の北村文...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/19(土) 18:22 -

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   ▼とほほさん:

>とすると、北村文夫は戦争の実態を報道するためにあえて危険をおかしてちょうちん記事を装い外信を翻訳して報道した、と言うスタンスでピッポさんは評価しているのですね?

評価なんて大層なことはいっていません(笑)。

ゆうさんの
>しかしまあ、たった11名の強盗団が、これだけの規模の大事件を引き起こしてしまうとは・・・。北村氏、疑問を感じなかったのでしょうか。

にちょっとぶら下がっただけです。
「北村氏、疑問を大いに感じたよ」、かも、って。
同じ北村さんでも、
今次の北村稔さんのような heron trainer ばかりでは世の中ないかも知れず。
・・・あくまでも可能性にしか過ぎないですが。

というわけで、

>当時の外信は一斉に日本を批判しています、そうした外信報道は少なからず国内にも届いていた、従って現在の否定論のような陰謀説で国内のメディアは外信を批判する、別に深く裏を読まなくてもさもありなん、って感じですけどね(^^;

そこんところの実際を!
とほほさん、このさい、良く教えてください。
お願いしますっ!!
69 hits

[19]Re(1):それにしても筆者の北村文...
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 渡辺  - 05/3/21(月) 12:29 -

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   ▼ピッポさん:
>それにしても筆者の北村文夫さんはかなりの豪傑ですね。
...
>私がそう思うのは、
>『英国共産党の機関紙たるデイリーワーカー紙』記事を
>堂々と翻訳、名称を伏せずに引用したからです。
>
>命がけだったのではありませんか?
>治安維持法下、戦争体制強化の中で・・・

 1937-38年当時は、否定する目的で海外の記事を引用することは問題視されなかったと思います。共産党、マルクスという言葉を使うこと自体も問題ありません。
 例えば、ジョン・ガンサー『アジアの内幕』の1939年の邦訳は、近衛文麿の「マルキスト時代」について書いていますし、国民党と共産党の関係について記述していますが、問題なく出版1ヶ月で12版を重ねました。もっとも、この本の中で日本軍について書かれている部分は、南京事件に関する記述とともにバッサリ割愛されています。厚い本なので全訳が難しかったのですが、「それに加へて出版元の希望もあり現下の情勢下に於て参考になる所だけを邦訳したもの」(訳者のあとがき)という自主規制がありました。
 否定的な引用であっても、具体的に残虐行為が記述されているものや、軍機に関するものはダメだったでしょう。判定基準は検閲する人により個人差があると思います。
 内務省の検閲で、具体的にどういう記事の何が問題とされたかは、取締まりの報告書として作成された『出版警察報』を見るとある程度わかります。

---
『出版警察報』1号 (昭3.10)〜149号 (昭19.3)
出版者: 龍溪書舎 1981-1982(出版者変更: 龍溪書舎→不二出版)
原本出版者変更: 内務省警保局→警保局図書課→内務省警保局検閲課・情報局第四部第一課→内務省警保局検閲課・情報局第二部検閲課
57 hits

[23]Re(2):話を文藝春秋社『話』にお...
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 ピッポ E-MAIL  - 05/3/21(月) 13:45 -

引用なし
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   ▼渡辺さん:

> 1937-38年当時は、否定する目的で海外の記事を引用することは問題視されなかったと思います。共産党、マルクスという言葉を使うこと自体も問題ありません。
> 例えば、ジョン・ガンサー『アジアの内幕』の1939年の邦訳は、近衛文麿の「マルキスト時代」について書いていますし、国民党と共産党の関係について記述していますが、問題なく出版1ヶ月で12版を重ねました。もっとも、この本の中で日本軍について書かれている部分は、南京事件に関する記述とともにバッサリ割愛されています。厚い本なので全訳が難しかったのですが、「それに加へて出版元の希望もあり現下の情勢下に於て参考になる所だけを邦訳したもの」(訳者のあとがき)という自主規制がありました。
> 否定的な引用であっても、具体的に残虐行為が記述されているものや、軍機に関するものはダメだったでしょう。判定基準は検閲する人により個人差があると思います。
> 内務省の検閲で、具体的にどういう記事の何が問題とされたかは、取締まりの報告書として作成された『出版警察報』を見るとある程度わかります。

ご指摘と史料ご教示ありがとうございます。

デイリーワーカー紙引用文:
「日本軍は南京占領後、数週間に亘つて戦慄すべき狂暴振りを示し、あらゆる財産は外支人の見境なく一様に掠奪破壊された。教会や寺院は掠奪され、図書館、病院などは焼打の難に遭ひ、多くの支那人は虐殺され、避難民は住むに家なく、飢餓と困窮の裡に累々たる屍体の間をさまよふ有様で、婦女子に対する襲撃は白昼日本大使館の真ん前でも行はれた。」が、

>日本軍について書かれている部分は、南京事件に関する記述とともにバッサリ割愛
>否定的な引用であっても、具体的に残虐行為が記述されているもの

の対象として抵触しなかったものかどうか、今のところ疑問ですが、
『出版警察報』にあたってみないと具体的には検証も推論できませんね。
私の宿題と致します。


ところで、『出版警察報』をGoogleってみましたら、スレ主であるゆうさんのサイトに行き着きました。そうして、スレ主さんの投稿趣旨である、

>戦前の日本では、「南京事件」の実態がメディアに載ることはほとんどなかった、と言われます。しかし意外なことに、文藝春秋社が発行する総合誌『話』の昭和十三年四月号に、しっかりと「海外報道」が紹介されているのを見かけました。

に、私も戻ることができました。
ゆうさん、とほほさん、わたなべさん、
要らぬ脱線をしてご迷惑をおかけしました。


南京事件 小さな資料集 ゆうのページ yu's page
http://www.geocities.jp/yu77799/index.html 内
「南京」以前ー「出版警察報」より
http://www.geocities.jp/yu77799/shuppankeisatu.html

(このページのリードを引用します)
======================================================================
 「出版警察報」は、内務省警保局(当時)が、「検閲」によって「記事差し止め」「発禁」などの処分を行った報告をまとめた、日本側の記録です。

 今日では、当時の報告者の意図とは裏腹に、皮肉なことに、「当時はこのようなメディアにこのような記事が掲載されていた」ことを知る、貴重な資料になっています。例えば笠原十九司氏は、「出版警察報」の記録をもとに、当時のアメリカにおける「南京事件」関連記事を発掘しています。

 ここでは、「南京事件」以前、華北・上海戦などの時期に、中国のメディアが日本軍の行動をどのように記録していたか、という視点から、記事を集めてみました。今となっては個別の事件の真実性・正確性の検証は極めて困難ですが、「南京事件」以前にも、中国側がこのような認識を持っていた、ということを知る上で、貴重な資料であるといえるでしょう。

 当時の中国政府の「南京事件」報道への反応が、今日の目から見るとやや鈍かったことをもって、「事件」の存在まで否定しようとする人もいますが、これを見ると、当時の感覚では、「南京事件」報道も、「事件」の規模が知られるまでは、「数ある日本軍の『暴虐』事件がまたひとつ増えた」程度に受け止められていたであろうことは、容易に想像がつきます。

===================================================================
(引用おわり・発禁記事具体例につづく:http://www.geocities.jp/yu77799/shuppankeisatu.html


※「出版警察報」の南京以後を見てみたいと思っています。
57 hits

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