「百人斬り」東京地裁判決(部分-061)

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《同じく検討したところ、捕虜斬殺の点に関する志々目彰らの著述内容を、一概に虚偽であるということはできない。》
        1. また,原告らは,被告本多において両少尉が捕虜を'惨殺したことの論拠とする志々目彰らの著述内容等が信用できず,本件摘示事実における捕虜斬殺の点が虚偽である旨主張する。

          そこで検討するに,前記2(1)ナ(エ)(*)で認定したとおり,志々目彰は,小学校時代に野田少尉の講演を聞き,その中で,野田少尉が,「百人斬り競争」について,そのほとんどが白兵戦ではなく捕虜を斬ったものである旨語ったところを聞いたとして,野田少尉による「百人斬り」のほとんどが捕虜の斬殺であった旨を月刊誌において述べていることが認められるが,そもそも,志々目彰が野田少尉の話を聞いたというのが小学生時であり,その後月刊誌にその話を掲載したのが30余年を経過した時点であることに照らすと,果たしてその記憶が正確なのか問題がないわけではない。

          また,前記2(1)ナ(オ)(*)で認定したとおり,志々目彰と同じ小学校で野田少尉の話を聞いたとするBは,百人斬ったという話や捕虜を斬ったという話を聞いたことがない旨陳述しており,その他,別機会に野田少尉の話を聞いたことがあるとする複数の者から,志々目彰の著述内容を弾劾する陳述内容の書証が複数提出されているところである。

          しかし,他方,前記2(1)ナ(オ)(*)で認定したとおり,志々目彰の大阪陸軍幼年学校の同期生であるKも,志々目彰と一緒の機会に,野田少尉から,百人という多人数ではないが,逃走する捕虜をみせしめ処罰のために斬殺したという話を聞いた旨述べていることも認められ,Aが野田少尉を擁護する立場でそのような内容を述べていることにかんがみれば,殊更虚偽を述べたものとも考え難く,少なくとも,当時,野田少尉が,志々目彰やAの在校する小学校において,捕虜を斬ったという話をしたという限度においては,両名の記憶が一致しているといえる。

          また,当時野田少尉を教官として同少尉と一緒に従軍していたという望月五三郎は,前記2(1)ナ(コ)(*)のとおり,その著作物において,野田少尉と向井少尉の百人斬り競争がエスカレートして,奪い合いをしながら農民を斬殺した状況を述べており,その真偽は定かでないというほかないが,これを直ちに虚偽であるとする客観的資料は存しないのである。

          これらの点にかんがみると,志々目彰の上記著述内容を一概に虚偽であるということはできない。

          なお,被告本多は,「南京への道」及び「南京大虐殺否定論13のウソ」においては,本件摘示事実の推論根拠として,昭和12年12月ころ,○(さんずいに栗)水において,日本軍将校により,14人の中国人男性が見せしめとして処刑された場面に遭遇した旨の襲其甫の話や,日本刀で自ら「捕虜据えもの斬り」を行ったとする鵜野晋太郎の手記を引用している。これらの話も,客観的資料に裏付けられているものではなく,その真偽のほどは定かではないというほかないが,自身の実体験に基づく話として具体性,迫真性を有するものといえ,これらを直ちに虚偽であるとまではいうことはできない。
        2. さらに,「百人斬り競争」の話の真否に関しては,前記2(1)ト(*)で認定したものも含めて,現在に至るまで,肯定,否定の見解が交錯し,様々な著述がなされており,その歴史的事実としての評価は,未だ,定まっていない状況にあると考えられる。
        3. 以上の諸点に照らすと,本件摘示事実が,一見して明白に虚偽であるとまでは認めるに足りない。

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