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「 いま僕も,全く同じように,『かりに,この小文が,"銃殺された側"の"一方的な"報告のようにみえても,終戦後の中国で,二人の戦犯がどのように行動し,それを,関係者や遺族がどう受けとめ,いまどう感じているかを知ることも,相互理解の第一前提ではないでしょうか』と問いたい。そして,同じく『百人斬り』を取材しながら,このルポで僕が取材した内容の意識と,朝日新聞の『中国の旅』の一節との間に横たわる距離の長さを思うとき,僕は改めてそこにある問題の深さに暗澹たる気持にならないではいられなかった。 」
と記載して,被告本多及び被告朝日らの見解を批判している(甲16)。
山本七平は,上記単行本「私の中の日本軍」において,自らの軍隊経験を中心として,「百人斬り競争」について検討し,
本件日日記事第四報の取材場所があり得ないこと,本件日日記事の内容自体が軍の規律に違反するものであること,本件日日記事に使用された用語が軍隊の通常の用語とは異なること,日本刀の殺傷能力から見て,「百人斬り競争」が不可能であることなどを検討し,本件日日記事が虚報であると断定するとともに,
被告本多らの見解を批判している(甲87)。
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