「百人斬り」東京地裁判決(部分-041)

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《紹介:鵜野晋太郎「日本刀怨恨譜」(「ペンの陰謀」)》
        • (オ) 鵜野晋太郎は,上記「ペンの陰謀」に「日本刀怨恨譜」を寄稿し,その中で,中国兵を並べておいて軍刀で斬首するという「据え物斬り」を行っていたこと,鵜野晋太郎自身,昭和31年に,住民,捕虜等を拷問,殺害したとの罪により中国当局によって禁固13年を言い渡されたことなどを述べ,「百人斬り競争」については,

          「  当時私は幼稚な『天下無敵大和魂武勇伝』を盲信していたので,百人斬りはすべて『壮烈鬼神も避く肉弾戦』(当時の従軍記者の好きなタイトルである)で斬ったものと思っていたが,前述の私の体験的確信から類推して,別の意味でこれは可能なことだ----と言うよりもむしろ容易なことであったに違いない。しかもいわゆる警備地区での斬首殺害の場合,穴を掘り埋没しても野犬が食いあさると言う面倒があるが,進撃中の作戦地区では正に『斬り捨てご免』で,立ち小便勝手放題にも似た『気儘な殺人』を両少尉が『満喫』したであろうことは容易に首肯ける。

            ただ注意すべきは目釘と刀身の曲りだが,それもそう大したことではなかったのだろう。又百人斬りの『話題の主』とあっては,進撃途上で比隣部隊から『どうぞ,どうぞ』と捕虜の提供を存分に受けたことも類推出来ようと言うものだ。要するに『据え物百人斬り競争』が正式名称になるべきである。尚彼等のどちらかが凱旋後故郷で講演した中に『戦闘中に斬ったのは三人で他は捕えたのを斬った云々』とあることからもはっきりしている。その戦闘中の三人も本当に白兵戦で斬ったのか真偽の程はきわめて疑わしくなる。   何れにせよ,こんなにはっきりしていることを『ああでもない,こうでもない』と言うこと自体馬鹿げた話だ。私を含めて何百何千もの野田・向井がいて,それは日中五○年戦争----とりわけ『支那事変』の時点での"無敵皇軍"の極めてありふれた現象に過ぎなかったのである。  」

          と記載している(乙1)

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