No. | P. | 内容 | 撮影者 初出誌 |
東中野氏による否定根拠 | 画像 click |
否定根拠への疑問 | 検証記事へのリンク | 写真判定 |
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『日寇暴行実録』 と 『外人目撃中之日軍暴行』 (A群)・・後々も使われた写真41枚 |
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001 | 77 | 南京空爆 | 日寇 | 南京でなく広東/夏服だから | ■南京空爆開始は冬ではなく夏です(1937年8月15日から12月12日まで行われました)。「歴史写真」のほうが間違いです。なんでもかんでも、南京陥落後の冬の写真でなければインチキ?そんなことは誰が決めたのでしょう。 どうみても、南京の写真だという方が確かです。どうやら最初の写真から勇み足のようです。 |
思考dblseh 思考sugseh 検証99 "n/143"-1 |
有効 | |
002 | 78 | 上海南駅空爆 | S.H.ワン Life3710 Look3712 日寇 |
赤ん坊”やらせ” | ■実際に赤ん坊の腕はもぎ取られ泣き叫んでいます。Look 1937年12月21日号 それを助け出そうとする大人。それらを見れば "やらせ" だとはとてもいえません。とんでもないいいがかりです。爆撃による駅被害の凄惨なようすは、"Shanghai's Undeclared War"の写真をみてください。 ■「ウソだからプロパガンダだ」という論法から、「プロパガンダだからウソに違いない」になっています。2次利用3次利用のフィルムではなく、元のフィルム (News Parade, The Year of 1937)を見てじっくり検証する必要があるでしょう。 ■元の写真。掲載誌 Look のキャプションによれば、帽子の男も救助者のひとりで、もう一人の救助者である黒服の男は、プラットフォームに赤ん坊を置いて再び右側の爆撃現場に戻ったとのこと。線路に横たわる犠牲者は14歳の少年だそうです。 ■元の映画についてのリポートが投稿されました。 そして東中野トリックの原因。さらには、東中野トリックの源流。 ■この写真は、Life 1937年10月4日号に紹介され、日本が起こした戦争への批判を巻き起こしました。そのため、当時からこの写真に対する日本側の批難は凄まじかったのです。赤ん坊が線路の上に居るように見える錯覚から、「線路の上にわざと赤ん坊を置いたに違いない」「黒服の男が撮影のために赤ん坊を運んだ」「ご丁寧に発煙筒まで焚いて煙を出している」などなど。『写真がウソ』だという目的のためのに、あらゆる「ウソ」がでっち上げられては消えてきました。それも、聖戦遂行の為の情報戦だったのです。 ■東中野教授もそうした歴史的なウソを蒸し返しているに過ぎません。前著『ザ・レイプ・オブ南京の研究』をお持ちの方は、是非この本と較べてみください。前著で挙げていた重要根拠のひとつが引っ込められています。「ウソ」や思いつきがでっち上げられては消えいく、その有様がよくわかります。 ※そうです。赤ん坊の居る場所が、線路からプラットフォームに、極秘?裏に変わってしまったのです。 |
検証156 検証230 図:上海南站 検証93 思考04/01/11 検証94 "n/143"-2 |
有効 | |
003 | 82 | 米艦バネー号沈没 | 日寇 Life3801 |
バネー号でない | ■東中野氏は「ザ・レイプ・オブ・南京」の間違いを取り上げて、米艦バネー(バナイ)号を誤爆したという事実まで打ち消そうと躍起です。 ■間違いないバネー号の沈没写真ならこの世にいくらでもあります。アイリス・チャン氏が写真を取り違えても、日本軍が誤爆または機銃掃射でバネー号を撃沈させた事実まで、取り違えることはできません。写真の誤用を騒ぎ立てながら、起こった事実をまるで起こらなかったかのように印象操作する。この本のポリシーを象徴するようですね。 ■それに、東中野氏がピックアップした「日寇暴行実録」掲載の写真は本物のようですし。 |
思考86 検証105 検証115 "n/143"-3 ビデオ: Footage from Norman Alley |
有効 | |
004 | 84 | 焼き殺された人力車の二人 | Tim | 説明が本によってバラバラ | ■説明が本によってバラバラなのは、撮影者がキャプションを本の編集者に伝えられなかったからでしょう。なぜなら、日本の新聞報道用写真、上海の地元写真誌取材、日本兵が撮影した写真などが、非公式ルート(闇)で中国側に渡ったと思われるからです。 ■闇で写真が流れるわけはない、と東中野教授はこの本のどこかで断言していますが、真実は?↓ |
"n/143"-4-5 |
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005 | 84 | 日本軍によって石油で焼き殺された南京市民 | Tim | 説明が本によってバラバラ | ■写真は文章を補う挿絵のように使われます。しかし、いつ誰が撮影したのかが判らない写真は、文章を証拠立てているわけではありません。本を読むにあたっては、どのようなスタンスで写真を使用しているか吟味が必要です。撮影者のキャプションを載せることができたはずの、日本の新聞・画報であっても、そのまま信じることはできません。なにしろ「宣伝戦」の真っ只中だったのですから。 ■焼死体写真は上海の可能性もある。 |
"n/143"-4-5 |
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006 | 86 | 斬首前 | (日本兵) 日寇 Tim CWR3810 |
足 影 服装 撮影許可 |
カメラマンは心ゆるせる人物 同僚兵士のカメラ〔もしくは戦場写真屋さん〕にポーズをとったものと思われます。 4人の兵士は「カメラマン」に心を許しています。後ろの男たちはニヤニヤ笑っています。東中野教授の写真分析は、日本兵がこのような非人間的な行為をするはずがない、するはずが無いと思いたい、という読者の願望に依拠しています。しかし事実は? (撮影許可について→"n/143-006,7") (影がハの字になるわけ→[図]写真6の影) |
タラリ
検証60〜 検証106 問答30427 "n/143"-6,7 思考錯誤 |
有効 | |
007 | 87 | 斬首後 | (日本兵) 日寇 Tim CWR3810 |
影・カメラ位置・人数 | ポーズ撮影 現代では「ドキュメンタリー」タッチの撮影が主流です。しかし当時はどうだったのでしょうか? 記念写真的なポーズ写真が多かったでしょう。何しろオートフォーカス、オートアイリスなんて無かったのです。カメラの準備を待つのが当たり前でした。 この写真も連続写真の一こまではなく、首が落ちたところで、改めてポーズ。ですから役者が交代していて当然です。(写真6と7の関係)。ただ、このカメラマンは構図のことはプロはだしのように思われます。写真6では誰もいなかった右奥に人物を配し、2人の視線の合わさるところに生首がある、という優れた「構図」を作っています。 実際に首斬ることもやらせ? ところで、あるサイトにこんな文章があるのには驚きました。 この写真(6)は、当時兵隊の間 で作るのがはやり、将校が頭を抱えたという、兵隊たちによるやらせ写真の疑いがある。だとすると、生首がころがった後のポーズ(写真7)まで含めてやらせ、ということになる。頭を抱えて済ますことのできない、カメラを小道具として使ったやらせどころか猟奇・凌辱殺人ではないか。この筆者は隣のページでこうもいっている。 南京戦が一段落した後、日本兵が記念写真用に撮影したものが南京付近の写真現像業者によって焼き増しされ、流出したのではないかと考えられている。実は当時、日本兵の間で残虐写真やエロ写真が出回っていた。・・・ここまでは全く正しい。しかし、 ただし、それらの多くはやらせ写真であったりしたので資料としての信頼性はほとんど無い。は全く違う。 こうした写真をとるために中国人捕虜の命を奪ったことが事実とすれば、それは、いかなる謝罪をもってしても購うことができない歴史的な汚点だ。それを自覚しようとしない態度こそ、日本人の信頼性を末代まで貶めることだ 。 |
タラリ タラリ影の考察 "n/143"-006,7 | 有効 | |
008 | 88 | 生首を提げた陸戦隊兵士 | (日本兵) Tim 日寇 CWR |
生きているのに首を残して黒塗り/服装が変 | ■東中野教授の学問的態度は、どうせ読者の多くは分かりっこないのだから、というもののようです。あるいは、調べ直さないことに特色があるようです。「こんな服装は日本兵のものではない」といわれると、多くの読者はそうかもしれない、と思います。この海軍陸戦隊の兵士が典型例です。 ■そうして、もっと酷い見立ては「黒く塗りつぶしている」。この本の中には随所にある表現です。この言葉がでてきたら、まず立ち止まり「本当ですか?教授!」と心の中で問い返すことにしましょう。 ■タラリさんが考証しているように、首と胴体との間が黒く写っているのです。ニセ写真攻撃−斬首編:2.斬り落とした首を持つ海軍兵 ■切り離された首が「カメラに向かってポーズをとる」。身の毛がよだつ教授ならではの着想です。⇒拡大写真:次のページ ■この写真は、上海から南京へいたる過程でのできごとと思われます。ちなみに、WEB上には「南京は陸地だから日本海軍はいない」という言説がありますが、それは間違いです。 海軍陸戦隊も南京攻略戦に参加し、1937年12月17日、南京入城式ではゆう江門より分列行進しています。(朝日版支那事変画報第11輯10頁・東中野本P56に転載) |
タラリ 検証16 "n/143"-8,9 |
有効 | |
009 | 89 | 生首を提げた陸戦隊兵士 | (日本兵) 日寇 |
実際は生きている/黒塗り/服装 | 斬り離された胴体。首の切り口が写っています。 | |||
010 | 90 | 生埋めにする兵士 | (日本兵) 日寇 |
建物の前で生埋するはずがない 影の元が写っていない いろんなトリミングなされた 撮影許可がとれたのか など |
■否定派にとってこの写真は、従来から「継ぎ目があるから」という理由で、"合成写真の典型"と大騒ぎされてきました。しかし「継ぎ目」とは、本の見開きページを複写して真中の筋をカットしたためにできたもの、に過ぎなかったのです。 ■このように否定派は、怪しいと思っただけで確かめもせず騒ぎ立てるのです。 この本ではもう「継ぎ目」説をいってません。そのかわり、”いちゃもん”をごちゃごちゃと付けています。使われた本によってトリミングの仕方が違うことまで(笑)。どれも確信はないようです。「疑問点が多いから合成だ」というのがすべてのようです。 ■拡大写真(858×654)を見れば、兵士たちの視線は決してバラバラではありません。 ■2008年9月14日朝日新聞。新証拠となる、同じ時、同じ場所の別アングル写真が発見され、「合成写真説」は崩壊しました。 |
タラリ "n/143" -10,11 |
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011 | ■この写真は10の写真の直前のシーンでしょうか? 同じ人物が写っています。明らかにカメラが近づいています。遠くから撮ったものをトリミングした写真や望遠レンズで撮った写真ではこのような奥行き感は表現されません。また、当時は交換レンズもズームレンズも有りません。こちらも写真10とともに合成したというのでしょうか? ■東中野氏に「合成写真だ」と言われないための秘訣は、同じ現場で2種類以上の写真を撮ることかもしれません。 |
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012 | 92 | 刺戳(したく)=刺殺 | (日本兵) CWR3808 Tim |
1、どこにも公開処刑の記録はない 2、処刑の現場は関係者以外立ち入れない 3、見物人の服装が夏服である 4、脚立を用いたり至近距離であったりとても兵士の盗撮とはいえない大掛かりな撮影 5、組織的取材の許可が必要だが外人記者に許すはずがない 6、日本人には公開処刑の習慣はない →だから中国国民党が宣伝本に載せるために演出(と考えることもあながち不可能ではない) |
■東中野氏はこの「公開処刑」そのものが、中国国民党のトリックであることを、結論として匂わせている。長々とした説明はそこに導入するお膳立てなので、結論から遡って述べる。 7、名前もわかっている日本兵が撮影した写真がある以上、この処刑は日本軍の行事である。 6、習慣があろうとなかろうと、公開処刑は現に行われた。 5、組織的かどうかは分からぬが、少なくとも2台以上のカメラが活躍していた。 4、カメラの高さは、脚立などは必要としない。脚立は必要か? 3、これは、1938年の7月の可能性があるが、仮に冬でも兵士は白いシャツ姿なることが多いので、服装からでは季節をとやかく言えない。 2、関係者以外立ち入れない。だから関係者が撮影した。 1、これらの写真が公開処刑の記録である。文書は当然処分しただろう。 場所の同一性が証明され、残された写真記録が立体的なので、"切り張りした合成写真だ" とかいう余地もなくなった。 Look 1938年11月22日号 写真:"Killing For Fun" そのキャプション |
検証69 検証35 検証161 問答有用30427 n/143-12 |
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013 | 92 | 刺戳(したく)=刺殺 | ||||||
013b | 93 | 刺戳(したく)=刺殺 | ||||||
013c 013d |
93 | 刺戳(したく)=刺殺 | 阪本多喜二 ジュニア |
■この2枚の写真は、1938年7月から1年間、南京の兵站病院で衛生伍長として勤務した坂本多喜二氏が撮影したもの。この写真が、写真12や13,13bと同じ場所同じ時のものだということは、東中野氏の考察のとおりです。 ■それらが8月13日発行の China Weekly Reviewに掲載されたのは、あわただしかったか?しかし、1週間前までに写真が入手できれば十分間に合うかもしれません。CWR発行人John B.Powellの回顧 ■しかしなぜ東中野氏は、この2枚の写真の左側をトリミングしたのだろうか? |
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014 | 92 | 殺頭(さつとう)=斬首 | (日本兵) Tim Look3811 (Fi) |
■この写真と13bは、最近オークションにかけられたモノだそうです。記事は→旧思考錯誤。 ■6×6版の密着焼付けのようですが、このように焼き増しされて各方面に流通したことが推測されます。 Look1938年11月22日号について |
検証69 検証35 旧思考錯誤 n/143-12 |
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015 | 92 | 殺頭(さつとう)=斬首 | (日本兵) CWR3808 Tim (Fi) |
■写真12、13b、13c、13dが同じ場所での刺殺の場面なのに対して、写真14と15は斬殺のシーンです。 ■場所は池のほとりらしく、実は後から出てくる写真70、71、72、73、74、75、EX-Cと同じ場所、同じ時のもののようです。公開刺殺大会にしても、公開斬殺大会にしても、これほど多角的に写真が残っていたのはなぜでしょうか? |
検証69、検証35 n/143-12 |
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016 | 99 | 幼児の死体 | Tim | 撮影者不明撮影地不明、できるだけショッキングなものを集めたから | ■記録映画の中にあり。上海か? | n/143-16 | ||
017 | 100 | 銃殺された3歳児 | マギー 日寇 Mg-Film |
撮影者不明撮影地不明 | ■『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』ではジョン・G・マギー撮影としているが、『日寇暴行実録』ではマギー撮影の記述は無く「南京で日本軍に銃殺された三歳児」というキャプション。東中野氏はごっちゃにしているだけ。 | n/143-17 | ||
018 | 100 | 死亡した3人の幼児 | 日寇 Tim |
キャプションが違う | ■『日寇暴行実録』のキャプションは具体的で真実性が高い。 「日本軍機の爆撃により南京の評事街で死亡した3人の幼児」つまり南京陥落前の(9月の)空爆による犠牲者として扱っている。 ■『外人目撃中之日軍暴行』ではそのキャプションが伝わらなかったので、「獣兵に蹂躙された=殺された」と書いてしまったのだろう。南京だとは特定していない。 |
n/143-18 | 有効 | |
019 | 100 | 両足を斬られた少年 | マギー 日寇 Mg-Film |
映画には写っている人物を塗りつぶしている |
■マギー牧師が撮影した16ミリ映画のフィルムの1コマです。映画では、誰もいない部屋に人物が入ってくるシーンです。誰もいない部分のコマを写真にしたと思われます。人物を塗りつぶしたりする必要もありません。 ※「馬驥牧師的見証(マギー牧師の物証)」の「登録」をクリックすれば見ることが出来ます。 その8分35秒目のカット、医師が登場する前のコマです。 参照 ⇒殺された7歳の少年のカット ■「黒く塗りつぶしている」。この本の中には随所にある表現です。この言葉がでてきたら、まず立ち止まり「本当ですか?教授!」、と心の中で問い返すことにしましょう。008 |
検証4 n/143-19 |
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020 | 101 | 池に浮かぶ中国兵の死体 | 日寇 | 冬なのになぜ下着姿か 草も枯れていない |
■下着姿になるのは夏だからというなら、夏だからパンツまで脱ぐのだろうか? 法医学的見解も必要だ。なお、草は枯れている。 死体写真と見ると難癖をつけるのはなぜか? 或いは「正当な戦闘の結果だ」と主張しないのは何故か? ■写真の左側の3人は後ろ手に縛られている。戦死者ではなくて処刑した捕虜である。 |
検証71 n/143-20 |
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021 | 102 | 殺された南京近郊の農民 | 日寇 | 日本兵が加害者だとどうして分かる? | ■南京地区から写真を流出させることは、日本軍の占領下では非合法でありスパイ行為であった。写真の正確無比なキャプションが伝わると考える方がおかしい。ましてや撮影者の名前などを伝達することなど、摘発されたときのことを考えればありえない。写真の裏に、キャプション替わりの簡単なメモを書くぐらいがせいいっぱいだったろう。 ■そうした中にあって、ティンバーリ氏やマギー牧師は保護されなければならない在住外国人だったから、署名入りの記録を残すことができた。多くの匿名中国人の情報も安全区の「国際委員会」の下に集まり、記録された。それが、『日寇暴行実録』や『外人目撃中之日軍暴行』として結実した。ティンバーリ氏やマギー牧師に中国国民党の協力要請があったのは、そうした事情を踏まえた後のことであった。 ■写真22のようなことが頻繁に起こっていたことは、ラーベの日記にも書いてあるし、マギー牧師の証言からも窺える。マギー牧師は、自分で見聞きしたことと、伝聞情報をはっきり分けて証言している。 私は新開路の六番地の家へ連れて行かれて見せられたのでありますが、それは案内したのは非常に年を取つた母方の祖母さんでありましたが、そこでは多数の中国人の子供が死んだと云ふ話でありました。 (中略)・・・それから是等の日本兵は此の少女達を強姦したのであります。先程申しました案内役に立つた其の祖母は、此の部屋に行つて、竹の棒を女の膣から引摺り出して持つて来たのであります。是等の女は強姦され且つ殺されたのであります。■写真23と写真25。大量殺戮事件はたいてい年月が経ってから浮かび上がる。当時の戦線や南京が、外国人記者が自由に取材できる場所だったかどうかを考えれば、すぐに国際問題化しなかったではないかという、東中野氏の言い分は難癖でしかない。 ■私たちは親たちに「何で太平洋戦争に反対しなかったの?」と聞いた。「戦争に反対なんか出来るわけ無いでしょ」という答えが返ってきた。「戦争に負けそうだったことも分からなかったの?」と聞いた。「戦争のホントのことなんか分かるわけないでしょ。」と答えが返ってきた。大本営発表=「勝つ勝つと信じていたんだもの」。戦争とは、自由な情報が無くなり真実が伝えられなくなる世の中の事だ。 ■ベトナム戦争以降、こうした戦場での事件が国際問題化するようになった。しかし21世紀になって逆行した。イラクのファルージャでは無辜の民の犠牲が報道されないように、米軍は病院をまず占拠した。軍事制圧下での真実の報道は"非合法ルート"でしかなりたたないようになった。 |
n/143-21 | ||
022 | 102 | 刺殺され葦を挿入された農婦 | 日寇 | 日本兵が加害者だとどうして分かる? | ||||
023 | 103 | 輪姦されたあと腹を裂かれた婦人と子供20人 | 日寇 | 日本兵がやったなら国際問題化してなければおかしい | ||||
024 | 103 | 南京近郊で刺殺された農民 | 日寇 | 日本兵が加害者だとどうして分かる? | ||||
025 | 103 | 機関銃で市民を掃射 | Tim (Fi) |
欧米人が目撃していたら大量殺人は報じらるはずだ | ||||
マギーフィルムの写真(前半) 後半はこちら |
■東中野氏は、マギーフィルムの写真検証を前段と後段の二つに分けた。その意図は何だろうか? ■マギーフィルムが大元のソースなら、それを取り上げて資料評価(批判)すればよいはずだ。マギーフィルムから見れば、『日寇暴行実録』は写真の2次使用であり、さらにずっと後出の『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』に至っては、4次使用とか5次使用といった類のものである。東中野氏の戦法は、そうした後次使用のキャプションにおけるアイマイさをネタにして、1次資料であるマギーフィルムの価値を貶めようとしている。 |
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026 | 104 | 輪姦され病気になった少女 | マギー 日寇 Mg-Film |
ウィルソン医師の日記に記事が無い | ■写真26。実はウィルソン医師、極東軍事裁判ではしっかりとこの少女に言及しています。ちょっと調べればすぐにわかるのですが、東中野氏はスルーしてしまったようです。(ゆうさん) ■極東軍事裁判のマギー牧師の証言にもこの少女の記録があります。(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P98)。そこでは、彼が目撃し救助した強姦被害者多数が語られている。 さう云ふ事件は多数に上つたのであります。私共外国人と致しまして最も困難な問題は、男子を(※日本軍が安全区から)連れて行くことは阻止することは出来ませぬでしたが、婦人を強姦することは(※現場に駆けつけることによって)到る処で止めることが出来ました。勿論、救出が間に合わなかった多数の悲劇も。 ■撮影した被害者、患者については、「マギーフィルムの解説書」、 「マギー牧師の解説書」より-続・安全区外の残留住民も読もう。 |
検証232 ウィルソン医師の手紙 検証板274-388 「ウイルソン証言」 n/143-26 n/143-27 n/143-28 |
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027 | 105 | 治療を受ける14歳の児童 | マギー 日寇 Mg-Film |
20歳前後の青年に見受けられるから戦闘中に負傷した兵士に違いない | ■20歳前後の青年に見受けられるのは、東中野さんだけです。 ■ウィルソン医師が日記に沢山書いた手術の記録の中から、何の根拠も無く、兵士の手術を限定して選んだのは東中野さんです。一事が万事、彼の資料からの適用の仕方は恣意的です。 じっくりお読みください。画像資料検証板[304,318] →「マギーフィルムの解説書」に映像シーンを当てはめてみる (但し、「マギーフィルムの解説書」はマギーが撮影したフィルムの一部しか解説してないし、解説書が添付された編集フィルムは発見されていません) |
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028 | 105 | 日本軍のせいで火傷を負わされた老農夫 | マギー 日寇 Mg-Film |
戦闘によるのか日本兵の悪行か、治療費を免れるための偽申告か? | ■”悪態をつく”という日本語は、どうやら、この本の著者のためにあるようです。 治療費を免れるための偽申告か?これが、悪態でなくホンネだとしたら、もっと酷いですね。 ■東中野教授には、ウィルソン医師が高額の治療費を請求していたと思えるようです。彼自身の道徳的規範では、野戦病院での医師はそうあるべきなのでしょう。こんな下司の勘ぐりをする御人がタニマチでは、誇り高くあるべき日本皇軍も憐れです。 →「マギーフィルムの解説書」に映像シーンを当てはめてみる (但し、「マギーフィルムの解説書」はマギーが撮影したフィルムの一部しか解説してないし、解説書が添付された編集フィルムは発見されていません) |
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029 | 106 | 強姦された婦女 | 日寇 鉄証如山 (Fi) |
ポルノ写真の一種、遊郭の女性と客ではないか 当時出回っていたエロ写真に強姦のキャプションをつけたもの | ■東中野氏は、「ポルノ写真の一種」といい、「当時出回っていたエロ写真」といい、「遊郭の女性と客」という。ところで、陵辱という言葉には二通りの意味があるそうだ。 りょうじょく【陵辱/▼凌辱】
■そうして、南京では【陵辱/▼凌辱】にはもう一つの意味があった。[極東軍事裁判のマギー牧師の証言]
■「悪戦苦闘」という事情であるが、これは上海戦いらい南京攻略までの上海派遣軍の戦況を見れば一目瞭然であろう。意外に強硬なシナ軍の抵抗で上海派遣軍は各所で苦闘を強いられた。その苦い体験から敵性国人に対して異常なまでに憎悪をもやしたことは想像できる。 ■この点について次のような話がある。第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、師団司令部に 女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼けという無茶苦茶な命令が届いた。 当時第六師団高級副官であった中佐平岡力(のち少将、鹿児島県護国神社奉賛会常務理事)は「こんなバカな命令があるか」の一言のもとにケ飛ばしてこの命令は宙に消えたままだったが、このデタラメな命令に出所について平岡氏は、 柳川兵団からそんなバカな命令が出るはずはない。出所について確認はしていないが、おそらく上海戦で苦戦中の軍司令部あたりが血迷って出した命令だろうといっている。「郷土部隊奮戦史1」(大分合同新聞社) P405〜P406 ■こうした女性への凌辱、暴行、殺害は、殺すか殺されるかの毎日の中で、古来から戦闘勝利者が行ってきたことだ。聖なる戦いをなす皇ける軍隊であろうとも、軍規をよほど厳格にしなければこうしたことを為すのである。 ■南京に至る軍規の乱れを反省して、中支派遣軍は直ちに下記のような布告を出した。軍管理の「慰安所」制度をはじめたのも南京戦の反省からであった。 丁集参一第一四五号■つい最近、女系皇統問題で意見をのべた三笠宮の、父宮の尉官教育記録も是非参照してください。 沢井中尉は自分の書いた答案を両手で眼の前に掲げながら、大きな声で読み上げた。「支那事変未解決の根本原因は、日本人が真の日本人に徹せざるにあり」沢井中尉が読み終わると、間髪を入れず、若杉参謀の声が語気鋭く講堂にひびいた。「その通り。事変未解決の根本原因は日本人が真の日本としての行動をしていないからだ。略奪暴行を行いながら何の皇軍か。現地の一般民衆を苦しめながら聖戦とは何事か。大陸における日本軍官民のこのような在り方で、いったい陛下の大御心にそっているとでも思っているのか」若杉参謀の前にならぶわれわれ尉官はもとより、左右に居ならぶ総司令官以下、将官佐官、ひとしく頭を垂れ、満堂粛として声がなかった。 |
検証板[22] そういう写真もあります n/143 -29-34 |
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030 | 108 | 輪姦後悲痛な表情をする女性 | 日寇 | 当時出回っていたエロ写真に強姦のキャプションをつけたもの | ||||
031 | 108 | 獣兵に蹂躙された婦女 | Tim (Fi) |
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032 | 108 | 獣兵に輪姦されたA | 日寇 | |||||
033 | 108 | 獣兵に輪姦されたB | 日寇 | |||||
034 | 108 | 日本軍に輪姦されたあと裸に | Tim | |||||
035 | 111 | 江南の農村婦女 | 熊崎 アサグ1211 日寇 |
1、捏造されたキャプション「江南の農村婦女は一群一群となって押送され、侵略軍の司令部へ連れ去られ、凌辱、輪姦、銃殺された」 2、この写真は日本でも大いに利用された 3、秦郁彦氏が写真の初出をつきとめた、『アサヒグラフ』であった。 4、元のキャプションは「我が兵士に護られて野良仕事より部落へ帰る日の丸部落の女子供の群れ」 5、密かな転載と説明改竄の典型である。 『アサヒグラフ』再現 |
■「硝煙下の桃源郷 江南の日の丸部落」はもちろん、中国人向けの宣伝ではない。日本国内向けもしくは欧米向の宣伝工作であろう。この"企画記事"のヘソは、『真っ先にかけつけて救いを求めてきた家族』という設定だ。『雇われたエキストラ家族』がカメラマンの求めに応じて、笑顔をつくるのは当然であろう。 ■だいたい、『日本軍の保護によって敗残支那兵の掠奪をまぬかれる中国人民』あるいは『日の丸の旗を立てて日本軍部隊に護衛されて畑に出かける中国農民』ということ自体、中国人にとっては荒唐無稽であり屈辱的なことであろう。怒りの気持ちはわかる。 ■だから、このような写真寸借とキャプション改竄を、さんざん凌辱の苦しみを味合わされている側が、戦争の真っ只中の時期に行うことに道義的な非はないだろう。元々の写真自体が、演出による「捏造」ドキュメンタリーなのだから。 ■とはいえ、後々それを引用するに当たり、日本側の雑誌を検索しなかった編集者はボンクラと批難されてもしかたない。「誰ならばこの写真が撮れたのか」を考えれば『要確認』に気がつくはずだ。プロとはいえない。 ⇒日本軍の宣撫工作「江南の日の丸部落」(再現) ⇒ 検証板3=笠原「南京事件」写真誤用について ■若いときにベトナム戦争に注目した世代なら、『戦略村』という言葉を思い出すかもしれない。 ⇒戦略村の起源 |
検証3 n/143 -35-37 |
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036 | 115 | 鶏略奪 | 小川 朝画報9 日寇 |
盗用しキャプション改竄。 「支那民家で買い込んだ鶏を首にぶら下げて前進する兵士(10月29日京漢線豊楽鎮にて)」 |
■『日寇暴行実録』の 「日本軍のいくところ略奪されて鶏も犬もいなくなった」は、この写真のキャプションとして相応しくない。しかし、徴発、略奪は一般的な真実であったことが、多くの資料から読み取れる。 ⇒「日本軍の軍紀」ー憲兵の認識 ⇒徴発の実態 |
n/143 -35-37 | ||
037 | 116 | 山羊を奪う | 特派員 毎画報12 日寇 |
「飼い主に棄てられた山羊2頭」 | ■『日寇暴行実録』の 「ヤギや鶏などの家畜は、全て戦利品として略奪された」の可能性も捨てきれない。毎日画報はそのヤギをどうしたかは見届けていない。 「日本軍は徴発のために代価を払い、支払い証明書を置いて来た」は、東中野氏の書き加え。農民が逃げ出して留守中の食糧や家畜をどうしたか、タテマエよりもホンネが、戦場兵士の真実。 ■常識的に考えて、農民が貴重な財産である家畜を捨てることはありません。 ⇒検証162=『日寇暴行実録』(山羊の写真) ⇒資料:城外、農村部の住民 |
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038 | 118 | 刑に臨む前 | 日寇 (Fi) |
足を縛られた男性は2人の兵士に囲まれているが、何の刑の執行前なのか、いつ、どこで誰が撮影したのかが不明では、信憑性がない。 | ■果たしてこれが釈放前にみえますか? |
n/143
-38-40 |
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039 | 118 | 路傍の孤児 | 日寇 | 路傍の女の孤児 | ■路傍の女の孤児。写真には何の問題も無い |
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040 | 118 | 避難する目の見えない老女 | ACME 日寇 |
息子に手を引かれて避難する上海の目の見えない老婆(1937年10月14日) | ■「日本の侵略軍に郷里の家たたき壊されて農民はしかたなく年寄り子供を助けて、郷里を逃げる。この写真は上海から南京に避難する難民だ。」というのが、中国記念館のキャプションだが。 |
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041 | 118 | 晋省で日本軍に強迫され蹂躙された婦女A | 日寇 | 女性がどのように蹂躙されたのか、男性は本当に日本兵であったのか、証明する手立てが無い。 | ■え?どのように蹂躙されたのかだって? 日本人かどうかに疑問を持つならともかく、そんなことが先に立つ無神経さが気になる・・・のだけど。 |
n/143 -41-42 | ||
042 | 118 | |||||||
『日寇暴行実録』 と 『外人目撃中之日軍暴行』 (B群)・・後では使われなくなった写真22枚 |
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043 | 120 | 漢口 | 日寇 | 無問題 | 漢口の爆撃後の写真です。問題なし。 | n/143 -43-52 | ||
044 | 120 | 上海南市炎上 | 特派員 毎画報11 日寇 |
裏焼き | ■「上海南市が日本軍の火に焼かれている情景」で間違いない。 日本側の宣伝文「上海掃討戦、浦東方面大火災を起こす」も間違いない。 ■東中野先生は、中国側も日本側と同じ宣伝文で説明しろ、ということを仰っているのかなあ?意図不明。 |
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045 046 047 048 049 050 |
121 | 爆撃1 | Tim | 問題なし | もともと南京ではない写真を「南京ではない」と扱っている。ここで一気に7枚も数を稼ぐ。 |
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051 | 121 | 爆撃された教会避難室 | Tim | 問題なし | ||||
052 | 122 | 山西省で殺された農民 | 日寇 | 誰が殺したか判らぬ、共産ゲリラの仕業かも知れぬ | ■「山西省屯留県で日本軍に殺された農民」。日本軍はそこには行かなかったのかな? ■山西省といえば、北支方面軍が闘った激戦地です。毒ガス戦でも有名です。 ⇒日華事変における化学戦 ⇒毒ガス戦(T) 「きい」は使用されたか :歩兵第二二四聯隊「冬季山西粛清作戦戦闘詳報」 ■当時の紅軍(共産軍)は農民の信頼が厚かった。農民から奪わず農民に寄与する、というのが装備も貧しい紅軍の唯一の取り柄だった。 毛沢東は、紅軍に対して「三大規律・八項注意」と呼ばれる厳しい軍律を定め、それを徹底させた。それまで、中国では軍隊といえば、政府軍であろうと土匪軍であろうと、略奪、暴行は当たり前で、民衆からは人間のくずとみなされていたから、こうした規律正しい軍隊の出現は、人々にとってはひとつの驚きであった。 |
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053 | 125 | 上海閘北で敵機に屠殺された母子 | 日寇 | 南京ではない | もともと南京ではないと記述していますよ |
n/143 -53-64 | ||
054 | 125 | 徐州の市区で敵機の爆撃にあって倒れた母子 | 日寇 |
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055 | 125 | 山西省良馬鎮で敵軍に殺害された我が同胞 | 日寇 |
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056 | 125 | 敵機の無差別爆撃で死体には血や肉がのりのようについている | Tim |
南京と無関係 | もともと南京と無関係な項目に入っています。問題ありません。 | |||
057 | 126 | 獣兵に蹂躙された婦女と子供 | Tim |
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058 | 126 | 敵機の無差別爆撃で死体には血や肉がのりのようについている | Tim |
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059 | 126 | 獣兵に蹂躙された婦女 | Tim |
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060 | 126 | 爆撃に遭った市民の住宅 | Tim |
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061 | 127 | 銃剣を提げて我が同胞に道路建設を強制 | 特派員 毎画報23 日寇 |
支那人を使役して敵の爆破した道路を修繕しつつ進む | 支配者が己を肯定し被支配者を使用するときの言葉、 「支那人を使役して敵の爆破した道路を修繕しつつ進む」同じ事実を被支配者から見ると、裏返しの表現となる。 「銃剣を提げて我が同胞に道路建設を強制」どちらから物事を見るかによって、同じ事物の表現が変わる。 |
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062 | 127 | 牛馬のように強制的に労働 | 特派員 毎画報11 日寇 |
わが軍のために道路を修理する土地の良民たち | これもまた、同じことがらの、立場の違いによる裏返しの表現 |
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063 | 127 | 松江の避難民の列車 | Tim | 列車に大勢の人が乗っているだけ | 東中野先生、批判を放棄。行軍途中の農民虐殺を否定したいときには、 戦闘地域から逃げ出さない村人はいないといっていたはずだが。 |
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064 | 127 | 奴隷となるのを嫌って盛んに逃亡避難 | Tim | 列車に大勢の人が乗っている | 他国に武力制圧、支配されることを、「奴隷になる」という。民族独立の考え方として当然。 |
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